昨今、「平成レトロ」という言葉が流行しているが、3年前までは平成だったわけで、この回顧ブームの対象は1990年代を中心とする平成前期ということになる。その中には、バブル景気の時期に当たる昭和末期から平成初期にまたがる数年に渡って登場したグッズや文化も少なくない。そこから「ポケットベル(通称・ポケベル)」と「携帯電話」に焦点を当て、今秋、著書「平成レトロの世界」(東京キララ社)を世に出した平成文化研究家の山下メロ氏(41)に話を聞いた。
平成は1989年1月8日から2019年4月30日までの30年間。昭和生まれで、平成に台頭したアイテムの一つとしてポケベルが挙げられる。固定電話からその番号にかけると端末が鳴る仕組みで、68年に登場したが、元々はビジネス用途だった。個人間に普及したのは90年代。ピークの96年には契約数が1000万件を超えた。「084」(おはよう)、「0843」(おやすみ)など数字の語呂合わせでメッセージを送り合えることで若者人気が高かったが、携帯電話の普及と共に利用者数が激減。令和元年の19年9月末にサービスを終了した。
山下氏は当サイトの取材に対して「ビジネスマンが携帯電話を持つようになった90年代に、高校生がポケベルをよく使っていました。中学生もいました。親から支給されることはあまりないので、利用料金を払うために、バイトをしながら使う感じでしたね」と説明する。
記者は平成2年の90年から3年間、地方紙の記者として会社から貸与されたポケベルを持っていたが、メッセージは出ずに音が鳴るだけという、旧来の小型受信機型だった。携帯電話のようなマナーモードやバイブ機能もなく、けたたましい音が鳴るため、休日に映画館で映画を見る時などは、大きな事件が起きないよう、祈りながら電源を切ったものだ。
ちょうどその頃、「ポケベルが鳴らなくて」というドラマ(日本テレビ)と同名の主題歌がヒットした。93年(平成5年)のことだ。ちなみに、同作の原案、企画、作詞は秋元康氏。機を見るに敏なヒットメーカーが〝ネタ〟としたポケベルは、まさに時代のトレンドだったわけだ。ドラマの放映から来年で30年。20代以下の世代にとって、その社会現象は生まれる前の「何、それ?」な遺物になるのだろう。
そのポケベルを表舞台から追いやった携帯電話について、山下氏は本書で数々のガラケーやPHSを紹介。「アンテナはバリサン」「ジョグダイヤル」「iモード」など懐かしいワードが登場する。
肩にかける「ショルダーホン」がNTTから発売されたのが昭和60年(85年)。平成初期の事件現場で、このショルダー型を使っていた大手紙記者をせん望のまなざしで見ていた。原稿用紙に手書きだった平成2年(90年)頃、携帯電話のない記者は屋外の現場から事件や事故の速報を出す際、公衆電話で原稿内容を読み上げて社内の受け手に筆記してもらっていた。周囲に公衆電話のない場合、民家の固定電話を拝借することも。数分間の市内通話料金として100円を渡したが、固辞された上に、茶とカステラまで出てきて恐縮したこともあった。
山下氏は「そういう話を聞きたいんですよ。平成初期がどれだけ『昔』だったかということを。当時の当たり前が、今と比べたら、いかに不便だったか。『平成なんて最近』とか、さんざん言われているので、いやいや違いますよと。公衆電話が駅前に何台もあって、その全てに人が並んでいる風景を知っていますかと。いつでも、どこからでも電話をかけられることがいかにありがたいか」と実感を込めた。記者が初めて携帯電話を手にしたのは94年10月、広島アジア大会の出張取材。会社の備品として導入されたばかりの携帯電話を手に、街を歩きながら初めて通話した時の感動を今も鮮明に覚えている。
山下氏はポケベルやPHS、携帯電話などの中身が透けて見える「スケルトン」にも本書で言及。98年頃の流行について、同氏は「回路や構造の誇示だったものが、だんだん流行のプロダクトデザインになっていきました。逆に今のスマホにはなぜスケルトンがほとんどないのかというと、ディスプレーとバッテリーの大型化によって見せるべき場所がなくなったことが大きいです」と解説した。
このように一昔前の流行と比較することで、現在の〝当たり前〟が相対化される。山下氏は「今の若い世代はサービス終了によってポケベルのコミュニケーションを体験できませんが、逆に、そこを飛び越えて『手紙』にまで戻る可能性だってあると思います」と指摘。新たな発見もある「平成」という時代は今、温故知新の対象となっている。