「馬場さんと戦えないまま、先に引退することをどう思う?」空気を読まない質問に猪木さんの答えは

杉田 康人 杉田 康人
アントニオ猪木さん(左)と古舘伊知郎アナは気合を入れる=1998年2月18日
アントニオ猪木さん(左)と古舘伊知郎アナは気合を入れる=1998年2月18日

 アントニオ猪木さんが1日、79歳で死去した。1998年4月4日に東京ドームで行われた引退試合。ラストマッチはテレビ朝日が中継、古舘伊知郎アナが実況することになり、2カ月前に開かれた番組制作発表会見のことだった。当時、まだデイリースポーツに入社したばかりで、新人のプロレス担当だった私は、猪木さんにこんな質問をぶつけてみた。

 「ジャイアント馬場さんと戦えないまま、馬場さんより先に引退することについてどう思いますか?」

 会見に同席していた古舘アナはじめ、みんなの表情が一斉に曇った。どうも、してはいけない質問だったらしい。

 当時、新日本と全日本のリングの間には、想像よりはるかに高い壁があった。猪木さんの花道となる有終舞台の会見で、ジャイアント馬場さんのことを口にすることはタブーだった。

 日本プロレスの前座時代には、猪木さんが馬場さんに16戦全敗した。2人がスターダムにのし上がってからは、両雄対決はとうとう実現しなかった。同じリングに立てない事情は、少年少女のプロレスファンでもなんとなく理解できた。私の質問は空気を読まない、今の言葉で言うと忖度(そんたく)しろよオマエ…というヤツである。

 会見場に漂った微妙な空気をかき消そうと、古舘アナは「そんなの○○と○○がいまセックスするようなもんでしょ」と〝絶対に交わらない〟という例えの古舘節で場をなごませた。そのままスルーされるかと思った質問に、マイクを持った猪木さんはこう答えた。

 「馬場さんがいたから、ここまで来れたというか…今の自分がいる」。

 プロレス評論家の門馬忠雄さんが、このやりとりを雑誌やパンフレットなどで取り上げてくれた。馬場さんあっての自分―猪木さんがライバルを〝認めた〟瞬間だったらしい。

 何か質問をしようと、必死になっていた若き日の私。会見場に漂った微妙な雰囲気、猪木さんの答え。ベテランの記者が「猪木の馬場への思いをうまく引き出した。若い君にしかできない、いい質問だったね」と声をかけてきてくれたこと。この時の小さな自信を、今でも心の中の宝箱に大切にしまいながら仕事を続けている。

 互いに切磋琢磨した猪木さんと馬場さんの濃密な関係と、同列に語るのはおこがましい。それでも訃報に接して「猪木さんがいたから、今の自分がいる」という言葉を送りたい。

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