すごいのかすごくないのか。眼前に広がる作品群に心がざわつく。東京藝術大学大学院美術研究科で先端芸術表現を専攻する小野田藍さん(33)は、フェイスブックやインスタグラム等のSNSタイムラインに流れてきた広告とニュース画像をサインペンで描く「まるとしかく」をライフワークにしている。1月28日から2月2日に東京・上野で行われた東京藝術大学卒業・修了作品展では、壁面と天井と柱面を利用し約800枚の作品が展示された。
購買欲や金銭欲におしゃれ心をかきたてる広告。芸能人のゴシップやおもしろ話、スポーツに政治や経済のトピックスが並ぶニュース。1枚あたりマーカーを用いて5分程で描いたという作品を、自身のSNSアカウントにアップしてきた。
「当初は広告だけを描いていました。しかし、途中からニュースも描くようになりました。ニュースも広告も現代においては大差がないと思ったからです。『フェイクニュース』や『ステルスマーケティング』はニュースの形をした広告のようなものですし、マスメディアによるニュース報道も広告やスポンサーの意向、あるいは政治的な力と無関係ではいられないのが現状だと思います。つまり、『まるとしかく』はテレビや雑誌、インターネットで目にするもののほとんどが広告と言えなくもない現状を反映しています」
小野田さんは群馬県前橋市出身。学生時代は野球に明け暮れたが、高校3年生の時、芸術家である父、日本画家である祖父の影響で美術を意識した。父が制作する現代アートの近寄り難い雰囲気に、青年期特有の見栄や知的欲望、自尊心がくすぐられた。
2014年に武蔵野美大の造形学部芸術文化学科を卒業。郵便局で配達業務に従事しながら美術作品を制作していく中、20年に東京藝大の大学院に入学した。「まるとしかく」は18年3月11日に開始。第1作は「仮想通貨をやってみたら、毎週女の子とデートができるくらいの小遣いは稼げたよ」というコピーと、ニット姿で胸が強調された女性が写った広告を描いた。
「僕は日頃からSNSに半ば中毒的に慣れ親しみ、楽しんでいます。そこには有益な情報もある反面、取るに足らない情報もたくさんあります。しかし、そんな情報を浴びるように生き、それに影響される現代人としての自分がいるのも確かでした。それに、僕は展覧会やイベントの告知は主にSNSで行っているので、僕の投稿だって多くの人々にとっては取るに足らないものなのです。だったら、こっちからタイムラインやバナーを覆う『無駄情報の海』に飛び込んでやろうと思い、ニュースや広告を描いては投稿し始めました」
その上で「3月11日は東日本大震災が起きた日です。言うまでもなく、そのようなメモリアルな日に対する人々の思いは計り知れません。SNSに対しても情報化社会に対しても、ありとあらゆる社会問題に対してもそうです。僕はその『計り知れなさ』の表現を、広告やニュースをマーカーでサクッと描くという、敢えて無意味っぽい軽薄な表現行為に託したのです。実際、その日に僕のタイムラインに流れてきた仮想通貨の広告画像を模写して投稿しました。無意味を極めた表現行為でした」と振り返った。「一人きりで勝手気ままに必要最低限の労力で継続できるのがこの作品の良いところ」と生みの苦しさをアピールする気持ちは皆無で、「やり始めた当初からは飽きていると思います。褒められたこともほとんどないのでやりがいも特にない」と自嘲的なまでに話す。それでも「やりがいがなくても、面白くなくても、続けるということが僕にとって重要なのです。やる必要もないのについついやってしまう表現こそが、真の芸術であると思います」という信念に基づくことを明かした。
SNSへの依存と不信を感じさせる「まるとしかく」。しかし、広告やニュースを批判的に捉え、〝社会派アート〟を自称するつもりはない。小野田さんは「広告やニュースは遠い世界のことでもあり、毎日SNSで触れるから身近なものでもある。そういうものを批判するのは簡単ですが、その批判はブーメランのように自分に返ってきます。だから、基本的に僕はニュースや広告を批判するでもなく肯定するでもないという態度を取っています。僕は、この二つに対してふざけ散らかしたいのです」と立ち位置を説明した。
SNS上の作品を友人が広告と勘違いした出来事に「下手な絵でもやり方次第では人の目や意識を騙せるということが確認できました」という発見があった。お笑い番組や芸人が好きで、特に深夜ラジオから影響を受けたという。「リスナーたちは投稿の中で、ラジオパーソナリティーや芸能界、世相などについて持論を語ります。世相を下品な言葉を用いてあえて高みから斬りつつ、絶妙な自虐やジョークを交えながら語ります。『まるとしかく』のスピリットは、深夜ラジオのリスナー投稿から学んだことでもあります」と語った。
「アンディ・ウォーホルはかつて『僕を知りたければ僕の絵の表面だけを見るだけで十分だよ。背後には何もない』と言いました。でも、これっておかしいですよね?ウォーホルは自分の絵やアート活動の『深み』を一切否定しているにも関わらず、死後数十年経過してもなお世界中で彼の絵は言及され、研究され続けているわけです。たしかにウォーホルの絵は表面的で薄っぺらく、深淵さとは無縁な見た目です。しかし、逆にこの『薄っぺらさ』が、彼の人物像や絵に深みを与えています。僕にとって芸術とは、ウォーホルがしたように言いたいことを『遠回し』に『ふざけながら』表現することだと思っています」
間もなく丸4年を迎える活動。大学院を修了する来春からは、再び仕事に従事しながら芸術に向き合う。遠回しで真っすぐのような、ふざけつつも生真面目なような、すごいのかすごくないのか、相反する方向性を内包させながら進んでいく。
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