「サスケ」「ワタリ」「カムイ伝」などの忍者漫画で知られる漫画家の白土三平さんが10月8日、89歳で亡くなった。忍者漫画と聞くと荒唐無稽な忍術合戦を思い浮かべがちだが、白土作品はそれらとはまったく異なり、容赦ない残虐描写、濃厚なドラマ、徹底したリアリティが貫かれていた。漫画が漫画という言葉だけでは収まらなくなり、劇画へ進化する過程において白土の存在はあまりにも大きい。
そんな白土さんの代表作のひとつに「忍者武芸帳」がある。1959年から1962年にかけて三洋社から出版された長編貸本漫画である。今ではあまり聞きなれない貸本漫画というのは、一般の書店で販売されるのではなく、貸本屋にのみ流通していた漫画のことを指す。白土は漫画家デビュー後に貸本漫画を主に手がけていた。「忍者武芸帳」は貸本としては珍しい全17巻におよぶ大長編で、戦国時代を舞台に主人公・結城重太郎の復讐劇が主となってストーリーは展開する。普通の物語とは違って、農民一揆や支配者同士の権力争いなどが入り組み、その裏で実質的な主人公である謎の忍者・影丸が暗躍し、さらに塚原卜伝、明智光秀、織田信長ら実在の人物も絡み合う歴史群像劇となっている。
当時から話題だったこの「忍者武芸帳」には映画化の話もいくつかあったようだが、壮大なスケールゆえ実行に移されることはなかった。しかし1967年、とんでもないアイデアで映画化を実現させた監督がいた。それが大島渚氏である。映画化のヒントは大島氏自身が以前に手掛けた「ユンボギの日記」(1965年)にあった。「ユンボギの日記」は韓国の少年が書いた日記を原作とした短編映画である。これは実際の動画撮影を行ったものではなく、静止画であるスチール写真を用いてスライドショーのように編集し、そこへ日記の朗読を加えるというものであった。この「ユンボギの日記」を経て、大島は「忍者武芸帳」を実写でもアニメでもない、漫画をそのまま撮影するという驚くべき手法で制作を始めた。
大島氏は白土さんの原画を接写レンズで撮影し、モンタージュ理論に従って編集を行った。モンタージュとは映画における編集理論のひとつで「別々の映像を組み合わせることで連続性を生じさせ新たな意味が想起される」というものである。「忍者武芸帳」においては元々が連続性のあるコマから成り立つ漫画なので、それほど困難なことではなかっただろう。そこへ台詞、ナレーション、効果音、音楽を加えることで見事に映像作品として成立させた。漫画そのままの画像が、台詞、ナレーションに合わせてテンポよく展開する映像は見事としか言いようがない。実際にはまったく動いていない静止画なのだが、まるで本当のアニメーションのように見えてくる。これは白土さんの画力と演出力のたまものであり、大島氏の映画監督としてのセンスによるものだろう。DVD「忍者武芸帳」(発売:紀伊国屋書店)に封入された冊子によると「監督が絵を選び、カメラマンがフレームを切り、脚本家がストップウォッチではかる」という現場だったという。ただ漫画のコマを撮影すればよいというものではなかったということがわかる。
他に類を見ない映画「忍者武芸帳」を大島は「長編フィルム劇画」と呼んだ。白土さんの創造性と革新性に大島氏の実験精神と冒険心が刺激されて生み出されたフィルム劇画という新ジャンルは、残念ながら標準化することはなかった。しかし、作品の評価がゆらぐものではない。それはぜひ直接鑑賞して確認していただきたい。