Aさん(20代)は、仕事帰りに立ち寄った洋食店でハンバーグ定食を注文した。仕事終わりで空腹だったこともあり、やっと運ばれてきたハンバーグに心が躍る。しかし、ナイフでハンバーグを切った瞬間、あることに気づく。その断面を見ると、中心部分がやや赤みを帯びていたのだ。
不安に思ったAさんは、思い切って店員に「中の色が少し気になるのですが、大丈夫でしょうか」と伝えた。すると厨房から出てきたシェフが快く確認し、「念のため焼き直します」とすぐに新しいものを用意してくれた。
ありがたい対応にほっとした一方で、Aさんの心には「わざわざ手間をかけさせてしまった」という申し訳なさが残った。会計時にも「先ほどはすみませんでした」と謝ってしまうほどだった。「指摘して良かったのか、それとも黙って食べるべきだったのか」という迷いは、今も消えていない。
このように、飲食店で感じた小さな違和感を伝えるべきか、飲み込むべきか迷った経験は、多くの人にあるのではないだろうか。この「言うか、黙るか」の心理的な葛藤について、臨床心理士の北川清一郎さんに話を聞いた。
角を立てずに伝えるコツとは
ー違和感を伝えることに「申し訳なさ」を感じてしまうのは、どのような心理からくるのでしょうか。
違和感を伝えることに申し訳なさを感じる背景には、「相手に手間をかけさせたくない」という気遣いだけでなく、自分の希望や不満を口にすることそのものへの罪悪感が関係していることがあります。
「こんなことを言ったら相手を困らせるのではないか」「嫌な客だと思われないか」と不安になり、自分の感じた違和感よりも、相手の気持ちや反応を優先してしまうのです。そこには、相手との関係を悪くしたくない、良い関係を保ちたいという思いも含まれています。
ー自分の不安を伝えることと、相手への配慮は、本来どちらを優先すべきものなのでしょうか。
自分の不安と相手への配慮は、本来どちらか一方を犠牲にして成り立つものではありません。不安や違和感は、自分の心身を守るための重要なサインでもあります。まずは「自分は何を不安に感じているのか」を認識し、そのうえで相手を責めない形で伝えることが大切です。
相手に配慮するあまり、自分の感じたことをすべて抑え込んでしまうと、自分の感覚や欲求を必要以上に後回しにすることになります。逆に、自分の不安だけを一方的にぶつければ、相手への配慮が失われます。自分の感情を大切にしながら、相手も一人の人として尊重するという、両者のバランスが重要です。
ー「言わずに残す」という選択は、必ずしも相手への思いやりとは限らない場合がありますか。
「言わずに残す」という選択が、相手への配慮から生じている場合はもちろんあります。ただし、「何か言って嫌な顔をされたらどうしよう」「面倒な客だと思われたくない」といった不安から、伝えることを避けている場合もあります。
つまり、黙っていることが必ずしも相手への思いやりとは限らず、自分自身を気まずさや対立から守るための選択になっていることもあります。大切なのは、「言うべきか、黙るべきか」ではなく、自分が何を心配しているのかを一度整理してみることです。
ー角を立てずに、かつ自分の気持ちも大事にする伝え方はあるのでしょうか。
角を立てずに伝えるためには、自分の気持ちを我慢するのでも、相手を責めるのでもなく、自分と相手の双方を尊重して伝えることが大切です。まず、気になった事実を落ち着いて伝え、そのうえで自分がどう感じているのか、何をしてほしいのかを具体的に言葉にすると伝わりやすくなります。
たとえば、「中が少し赤く見えて心配なのですが、確認していただけますか」といった伝え方です。「これはおかしいですよね」と相手を評価したり責めたりするのではなく、「私は少し心配です」と自分の感じ方として伝えることで、相手も受け止めやすくなります。自分の不安を大切にしながら、相手にも配慮して率直に伝えることがポイントです。
◆北川清一郎(きたがわ・せいいちろう) (株)心理オフィスK代表取締役
臨床心理士、公認心理師、日本精神分析学会認定心理療法士。関西大学大学院修了後、精神科・心療内科、教育センター、児童相談所、スクールカウンセラー、企業内保健センターなど、医療・教育・福祉・産業の各領域で臨床経験を積む。大学・専門学校で心理学や臨床心理学等の講師も歴任。現在は(株)心理オフィスK代表取締役として、精神分析的心理療法を専門に、カウンセリング、教育分析、スーパービジョンなどをおこなっている。
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