「ハワイには〝地獄〟もある」後輩力士が非業の死…楽園の「影」語った曙さん 角界で心の支えは故郷の絆

北村 泰介 北村 泰介
記者が手渡したウクレレを手に笑顔でハワイの思い出を語った曙さん(2011年7月撮影)
記者が手渡したウクレレを手に笑顔でハワイの思い出を語った曙さん(2011年7月撮影)

 大相撲で外国出身初の横綱となった曙太郎さんが4月に心不全のため54歳で亡くなった。14日に都内で営まれた葬儀はハワイ式で、フラダンスや歌が披露される中、参列者がカーネーションを献花し、棺にはハワイ州旗がかけられた。だが、生前の曙さんが語っていたハワイには望郷の念だけではなく、厳しい現実と悲しい思い出も込められていた。

 米ハワイ州オアフ島で生まれた曙さん。18歳で来日するまでどのようなに生活を送っていたのか。2011年にデイリースポーツ紙面での60回連載企画の取材で、曙さんは「みなさんが知っているハワイと本当のハワイは違いますから。観光客にとって〝天国〟でも、天国には必ず〝地獄〟があるんですよ」と語った。故郷を美化することなく、〝ありのままの現実〟を知ってほしいとの思いを感じた。

 「ハワイでは子どもの時から、いろいろバイトを掛け持ちして、稼いだ金は全部、家に入れてました。中でも大変だったのが養鶏場の鶏を夜になってトラックに詰め込む作業。夜、寝ている鶏の脚を1本ずつつかんではひっくり返し、1度に10羽くらいまとめてつかんでトラックの荷台に放り込む。養鶏場にはフンが一杯たまっていて、汚くて、臭くて、きつい、まさに〝3K〟でした。鶏を狙うマングースを追っ払いながらね。次の日、学校に行っても、体に鶏のフンのにおいが染みついて誰も寄ってこない。だから、あの頃の俺は鶏肉が食べられなかったです。早朝は学校行く前に新聞配達。肩に新聞ぶら下げて走って配ってました。昔のハワイの家は隣との距離がすごく開いていて、よく走った。それを思えば、相撲部屋の生活なんて全然しんどくなかったですよ」

 同郷の後輩力士がハワイで非業の最期を遂げたことも心に影を落とした。ハワイ出身で東関部屋の大喜さん。幕下で2回優勝し、最高位は西十両10枚目。1998年初場所を最後に引退し、帰郷して飲食店に勤務していたが、トラブルに巻き込まれて刺殺された。31歳だった。曙さんがプロレスラーの道を本格的に歩み始めた年のことだ。

 「忘れもしない2005年5月16日。俺はたまたまハワイにいて、仲のいい大喜のお兄ちゃんの家に泊まってた。部屋で横になってたら、夜中0時ごろにドアをたたかれた。飛び起きたら、みんな泣いてるんですよ。お兄ちゃんが電話で警察に本人だと確認して。夜中1時ごろ、雨の中、事件の現場を通りかかって、その後で遺体と対面しましたけど、とんでもない切られ方でした。警察によると、大喜がトラックを運転していたら、荷台に乗ってた人が窓から豚とかを刺すような包丁で切りつけてきたと。彼が右腕でディフェンスしようとして、刺された腕には大きな穴が開いて、向こう側が見えていました。だから、その箇所に『大喜』というしこ名と、生年と没年の『1973・7・16―2005・5・16』を彼の人生として俺の体に刻みました」

 そう振り返りながら、曙さんは「ハワイには寂しい思い出しかない。観光なら熱海に行った方がいいですよ」と漏らした。だが、日本においては同郷の仲間との絆が強かったとも言える。曙さんは駆け出し時代の「ハンバーガー映画鑑賞会」を懐かしんだ。

 「一門の先輩である高砂部屋の小錦さんが、後輩の外国人力士を集めて自分の部屋で映画鑑賞会を開くんですよ。夕飯前なんだけど、小錦さんが『おやつ買ってこい』って1万円札を渡して、俺らがハンバーガーを買いに行くの。相当な数を買って、7-8人で映画見ながら食べるんです。ハワイの人がほとんどだから、だいたいアメリカ映画で、一番、新しい作品を見るんですよ。チャンコもいいけど、ハンバーガー食ってると、なんかホッとするんですよね」

 勝負の世界ではつらい思いもした。93年の九州場所のことだ。

 「横綱として3場所連続優勝がかかっていたこの場所、俺は11勝1敗で13日目に大関かど番で5勝7敗の小錦さんと対戦した。つらいどころじゃなかったですよ。嫌だったです。でも、お互いに横綱、大関だから、終盤で当たるのはしょうがない。土俵に上がった時には目を合わせられなかったですね。休場してくれたら俺と取らなくて済んだのに…って、ちょっと思ったりもしたんだけど、そういう問題じゃないんですよね。そんなことしたら自分のためにもならない。小錦さんは自分が育てた後輩と正面からぶつかり、負けて、大関から落ち、それを受け入れた。番付じゃなく、人間として立派ですよ」

 角界を離れても交流は続き、ミュージシャンとなったKONISHIKIのコンサートにも足を運んだ。

 「大関から横綱の一歩手前まで行った小錦さんがいて、俺の後に横綱になった武蔵丸さんとは、かつて高砂部屋で小錦さんとやったように、武蔵川部屋への出稽古で汗を流した。ハワイ出身力士に横綱への道を作ったのは(師匠の元・東関親方)高見山さん。小錦→曙→武蔵丸という流れの源はやっぱり俺の親方なんです」

 楽園の陽光の裏にある「影」を噛みしめつつ、日本ではハワイの同胞が心の支えとなった曙さん。人生の幕をハワイ式で降ろしたと思うと感慨深いものがある。

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース