韓国映画界の巨匠イ・ドゥヨン監督が死去、韓国から初めてカンヌ国際映画祭へ進出

椎 美雪 椎 美雪
2016年「釜山国際映画祭」ハンドブリーフィングに登壇したイ・ドゥヨン監督(左)(出典:YouTube 
TongTongCulture動画キャプチャー)
2016年「釜山国際映画祭」ハンドブリーフィングに登壇したイ・ドゥヨン監督(左)(出典:YouTube TongTongCulture動画キャプチャー)

 韓国映画で初めて「カンヌ国際映画祭」へ進出し、韓国映画を世界へと広めた巨匠イ・ドゥヨン監督が、19日に死亡したと韓国メディアが一斉に報じた。82歳だった。

 韓国映画界によるとイ・ドゥヨン監督は19日の午前3時ごろ、ソウル大病院で息を引き取ったという。故人は2023年より、肺がんで闘病生活を送っていたことが明かされた。

 1941年生まれのイ・ドゥヨン監督は東国大学経済学科を卒業後、映画界に足を踏み入れ10年近く助監督を務めた。そして1970年に映画「失われたベール」(原題)で監督デビュー。1974年には「Manchurian Tiger」「怒りの左足」など、1年で6本という驚異的本数のテコンドー映画を世に送り出す。

 その後、土俗的な要素を扱った作品を演出し東洋的な世界観を描いた時代劇を発表、監督としての全盛期を迎えた。特に韓国映画に対する、世界の観客認知度が低かった1980年代に、有数の国際映画祭から招待を受けて韓国映画のグローバル化のための布石を打った。

 そして1981年に「避幕(ピマク)」がベネチア国際映画祭で特別賞(ISDAP)を受賞。韓国映画で初の快挙を成し遂げると、1984年には「The Wheel」がカンヌ国際映画祭で「注目すべき視線部門」に招待され、韓国映画が初のカンヌ進出を果たした。

 1980年、分断を題材にした映画「最後の証人」では、当局の検閲で編集版の半分ほどが削除された後に公開されるという、紆余曲折を経験。2019年に同作が釜山国際映画祭へ公式招待上映され、当時の検閲でカットされたシーンを復活させた復元版が上映された。これは3時間近い上映時間となり、韓国現代史の悲劇を扱った名作と評価されているという。

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