「ドラえもん」「パーマン」「エスパー魔美」など数多くの傑作を残し、日本を代表する漫画家である藤子・F・不二雄(本名・藤本弘)さんの生誕90周年記念原画展「『好き』から生まれた藤子・F・不二雄のまんが世界」の内覧会が31日、神奈川県川崎市の藤子・F・不二雄ミュージアムで行われ、三女で同ミュージアム代表の水野地子(くにこ)さんがあいさつで、父の思い出を語った。
会期は11月1日から来年10月下旬まで。「僕は、すべてにおいて『好き』であることを優先させてきました」。藤子Fさんが生前に語った言葉通り、作品で描かれた多種多様な「好き」が詰まった原画約160点が展示された。まんが、物語、映画、ものづくり、鉄道・模型、歴史・遺跡、恐竜、カメラ、ふしぎな話、家族と10のテーマにジャンル分け。会期を3回に分け、約4カ月ごとにほぼ全ての展示原画が入れ替えられる。
1996年に62歳で死去した藤子Fさん。12月1日には生誕90周年の節目を迎える。
地子さんは「今思えば、家庭も同じく父の好きにあふれ、私達は父の好きに囲まれて育ってきたのだな、と感じています」と、藤子Fさんとの思い出を語り始めた。
「例えば恐竜。私が物心ついたときには、恐竜図鑑や恐竜の絵本が家に何冊もありました。おそらく姉が生まれた時からのものです。飾り棚には、かわいらしい人形の横にリアルな恐竜の人形が並び、三葉虫やアンモナイトの化石も置いてありました。博物館で恐竜展が開催されると必ず家族で行き、新聞に恐竜のニュースが載ると、記事を見せながら、夕食時の話題に上がりました。それくらい私達にとって、恐竜とは身近な話題の一つでした」
原画展の会場には鉄道模型のジオラマも展示されている。藤子Fさんが生前に自宅で手を加えたものだという。
「私が小学校高学年になった頃でしょうか。姉たちが大きくなり、休日を一緒に過ごすのは私一人という時期がありました。私は絵を描く遊びが好きではなかったので、必然的に工作やラジコン、空気銃の的当て勝負のような遊びが多くなりました。そんな中、一時ブームになったのが、今回展示されている父のNゲージです」
一緒にNゲージに触れるようになった地子さんは、父の熱中ぶりを目の当たりにした。
「何もなかった緑の中に動物を放牧したいと、小さなフィギュアをああでもない、こうでもないといろいろな角度から観察しながら置く日もあれば、ここをもう少し変えたいんだよね、と彫刻刀でガリガリ削る日もありました。父の作業はいつも本当に丁寧で、何をするのもきちんと仮留め、下描きを欠かしません。私は横でそんな父を眺めていました。少し舌を出しながら没頭する父の姿を今もよく覚えております。実際にNゲージを走らせる日もありました。ここまで目線を下げるとトンネルを出てくるとき本当に格好がいいんだよ、と言いながら腰を落としてジオラマを眺める父は、本当に楽しそうでした。スピードの調節や線路の切り替えを教えてもらい、列車を走らせることは大好きな遊びでした」
地子さんが成人してから、藤子Fさんの鉄道模型愛に驚く場面があった。1979年に発表された少年SF短編「四畳半SL旅行」を読んだときのことだ。
「私と一緒に遊ぶよりもだいぶ前に描かれたものです。子供の頃から、作品を描いたときも、私と遊んだときも、変わらずにずっと好き。まだまだ改造もしたかったし、鉄道模型が出てくる漫画を描きかかったと思います」
地子さんは藤子Fさんの決して長くはない生涯を、残念そうに語った。そして最後に、父が家族に向けた愛情を振り返った。
「父は絶対に私達に仕事を見せない人でした。私は漫画を描いている姿を見たことがありません。しかし、作品も家庭も同じ好きなものにあふれ、繋がっていることを今回感じております。今回並んでいる原画を見ると、全ての作品が父との思い出に結びつきます。ぜひ、父、藤子・F・不二雄のあふれ出る『好き』に包まれて、楽しんでいただけたらと思います」
そう言って地子さんはあいさつを終え、原画展がファンに喜ばれることを願った。開館日、入場料金等の詳細は同ミュージアム公式サイトまで。