SMの女王様キャラで2007年にブレークしたピン芸人・にしおかすみこ(48)が、認知症の母やダウン症の姉ら家族と向き合った日々をつづった著書「ポンコツ一家」(講談社)を今年1月に出版して話題になった。執筆活動という「異ジャンルへの挑戦」という点では、落語やマラソンに取り組んだことにも重なる。にしおかがよろず~ニュースの取材に対し、当時を振り返った。
テレビで人気が爆発してから2年後の09年、にしおかは落語家・春風亭小朝の弟子になった。
「SMネタをやっている時に、『格好だけで話術が足りていない』とすごく思っていて、ちゃんと勉強しなきゃと思って、小朝師匠に『勉強させてください』とお願いしました。焦りからですね。高座名は春風こえむ。師匠から『こ(小)』、女王様でSキャラだけど本当は『M』でしょう?というところから、『こえむ』です」
下積み時代は飲食店でアルバイトをしていたが、テレビの人気者となって生活は一変した。
「バイトを辞められたんですよ。だけど、バイトの料理長さんが私のことを『一発屋っ?ぽい』と思われたのかどうかは分からないですけど、出勤時に押すタイムカードをずっと残していてくださっていた。その後、バイトに戻ることはなく、毎日、芸人のお仕事が続き、『こんなに睡眠時間がなくなるんだな』と、あの時に初体験しました。番組では大御所の方に『この、ブタ野郎!』って、どうお仕置きしようかとかばかり考えていたから、当時のことは、ほぼ何も覚えてないんですよ。『いつ、立ち上がって、いつ、前に出て、誰をたたくか』ということばかり考えていたので、余裕がなくて、人のお話もちゃんと聞けていなかったです」
いわゆる〝一発屋〟として消費されていくテレビタレントの宿命を肌で感じ、その危機感から落語という世界の門をたたいた。
「落語のネタは新作も古典もありました。小朝師匠の独演会で前座をさせていただいたり。本編は小朝師匠に教えていただいたネタをやって、その前に付けるマクラを5分か10分くらいやるんですが、師匠が『今回はこのテーマで考えてみて』と言ってくださるので、そこは自分で考えて、本編につながる前振りみたいなのを考えました。本番は師匠と目の肥えたお客様に見守っていただきながら、それでもアップアップと溺れていた感じです。落語をやった期間は2年くらいです。貴重な経験をさせていただきました」
その時期にマラソンにも目覚めた。08年2月、番組の企画で東京マラソンに出場し、4時間45分35秒で完走。その後、12年にアクアラインマラソン(千葉)で3時間台を記録して以降、13年に慶州さくらマラソン(韓国)、14年に丹波篠山ABCマラソン(兵庫)、つくばマラソン(茨城)などのフルマラソンで着実にタイムを縮めた。15年には 能登半島すずウルトラマラソン(石川)で102キロを10時間8分55秒で完走し、女子の部で2位になった。
「最初は仕事でフルマラソン走らせていただいたのがきっかけですね。ちょっと時期があいてから、プライベートで走るようになった。能登半島の102キロ。よくやりますよね(笑)」
走るモチベーションは「仲間」とのコミュニケーションにあったという。
「走っているうちにマラソン仲間が増えるんですよ。そうすると、走ることが本当に好きな方々が『100キロに出てみようよ』と誘ってくださるんです。その勢いに流されるままに走った。みなさん、一緒にやってくれるんで、チャレンジしやすかった。恵まれましたね。私は社交的じゃなくて友だちも少ないんですけど、その方たちと一緒に大会に行った後に食べるご飯とか温泉とかがすごく楽しくて続いたんです」
能登半島で102キロを走った翌々年に、北緯40°秋田内陸リゾートカップで100キロを10時間15分23秒で完走して8位入賞。フルマラソンも続け、19年の全国勝田マラソン(茨城)では3時間5分3秒の自己ベストをマークして「女子40歳代の部」で4位に入った。「その時はタイム出したかったので一生懸命、練習しました」と振り返る。
コロナ禍となった20年以降は千葉県内の実家で家族との同居を始めた時期と重なり、その間、マラソン出場はなく、現時点で自己ベストを出した19年の大会が最後になっている。逆に、その同居生活によって今回の著書が生まれたことになるわけで、人生というものは分からない。
「今はサボってますね。都内で1人暮らしだった時は、マラソン仲間のみんなが仕事を終える時間に合わせて、一緒にしゃべりながらジョギングするのが楽しくて続いていました。今も、たまにジョギングしますが、体力の衰えを感じるので、よほど練習しないとフルマラソンの大会は難しいと思います。今後、練習できて完走できそうだったら、その時はいきたいと思います」
マラソンは〝引退〟ということではなく、機が熟すれば再び走る可能性は否定しなかった。今は執筆活動に打ち込む。健脚から健筆へ。分野が違っても、新たな世界に挑む精神は健在だ。