プロレスラーの蝶野正洋が1日、この日朝にアントニオ猪木さんが79歳の生涯を終えたことを受け、追悼の談話を寄せた。かつて付き人を務めた師匠を「最後の最後までアントニオ猪木であり、闘魂を貫かれたことには敬意の念しかありません」と、悼んだ。
蝶野は羽田空港で訃報を聞き「飛行機の中ではずっと心の整理がつきませんでした。猪木さんの体調のいついては皆さんと同じように、YouTubeを見て把握していた状態でしたが、ついにきていまったのか…という気持ちです」と吐露。「猪木さんは我々プロレス業界を含めて、多くの業界の方に影響を与えた人です。まだ気持ちの整理はつかないです」と続けた。
蝶野は1984年に新日本プロレスに入門。武藤敬司、橋本真也との「闘魂三銃士」は団体の柱となった。「猪木さんの付き人を2年半務めて、闘魂三銃士という名前がついて、ここ最近、闘魂について考えていたところでした。その矢先に…力道山先生から引き継いでいる闘魂について、そのほかのことも、いろいろ猪木さんに聞きたかったです」と残念がった。
自身の全盛期と猪木さんを比較し「我々は平成を舞台にしていましたが、猪木さんは昭和を舞台にしたスーパースターで背負っているものが違っていました。それだけのオーラがあって、責任感もありました。また努力を怠らなかったのを見てきました。最後の最後までアントニオ猪木であり、闘魂を貫かれたことには敬意の念しかありません。安らかなご永眠をお祈りいたします」と追悼した。