「ささえは街の人情」 20年以上の海外生活へて尼崎の老舗旅館継いだ女将

ぽすわんのカノー ぽすわんのカノー

阪神出屋敷駅の近くに、大正時代にタイムスリップしたかのような空間がある。創業100年以上の歴史を誇る老舗旅館、竹家荘旅館だ。

竹家荘は現在の女将、樋口京子さんの祖母が戦後すぐの1947年に下宿屋を買取り開業した。

竹家荘に生まれ育った京子さんだが、若い頃はこの建物があまり好きでなかったという。

「小さい頃は、古くさいこの旅館があまり好きではありませんでした。布団ではなくベッドに憧れましたね」

デザイナーを経て20代でオーストラリア・メルボルンに渡り、20年以上もの間、レストラン経営やガイドなどの仕事を手掛けた京子さん。途中、一時帰国することはあったが、居住地を日本に戻したの2003年のこと。

高齢の父に代わり竹家荘を継ぐ事になり、建物をリノベーションしていく中で京子さんの感覚が変わっていった。

「子供の頃は嫌いだったはずなのに、日本的な内装や家具すべてが愛おしいと思えるようになっていました」

入り口付近にある襖は、100年近くあった古いものを再利用しているという。

「少し工夫すれば古いものは生き返る。今風に言うとSDGsでしょうか(笑)」

しかし古さに固執しているわけではない。

タイルや漆喰、調度品や家具などの大正・昭和の雰囲気は丁寧に残しながらも、その中にシェアハウスのように共用できるIHのキッチンがある。コーヒーを淹れる陶器のコップはハンドメイド。もちろんWi-Fi完備。

これまでにも祖母から両親へと受け継がれていく中で、少しずつ様相を変えてきた竹家荘。京子さんも自身のインスピレーションを加え、そのアップデートに関わっているのだ。

京子さんは地域や常連客の間で名物女将として知られる。エントランスに設けられた「Bamboo bar(バンブーバー)」ではお酒やコーヒーを楽しみながらカウンター越しに京子さんと会話できるのだが、海外生活など豊かな人生経験を経てきた京子さんは話題が尽きることがない。

オーストラリア時代の話、ほぼ毎晩欠かさず観る映画の話、はたまた小さな頃から近所の小さいころから通うお好み焼き屋の話…唯一無二のキャラクター、京子さんと竹家荘が織りなす独特の空気を求めて、宿泊者だけでなくアーティストや小説家も訪れ、会話に興じる。

パッチワーク作家の史枝(fumieda)さんは制作のため竹家荘に2ヶ月滞在したことがある。

「作品作りの場所を探していた所、知人に紹介されました。一度お邪魔した時に雰囲気と女将さんの明るさに心を奪われて滞在を決めたんです。竹家荘旅館を拠点に、阪神尼崎や出屋敷をイメージした作品を制作させていただきました。滞在中に展示をしていただき、芸術への愛を感じました」(史枝さん)

コロナ禍の影響を受け宿泊者数が減少する中、バースペースで昼から夕方にかけて「喫茶リョカン」をはじめた竹家荘。(現在は火・水・金・土の11時から17時の営業)

やむを得ず始めた喫茶店だが思わぬ展開につながった。

「旅館って、その地域の人は来ないでしょう?でも喫茶店には地元の人も来てくれる。改めて尼崎の人の良さに気づきました。特に私は生まれ育った出屋敷の町が好きです。下町感があり、大阪や神戸の都会へのアクセスもいい。当館での宿泊をキッカケに出屋敷の魅力に気付いて引っ越してきた人もいますよ」(京子さん)

現在、京子さんは竹家荘にさらに新しい風を吹かせようと、音楽ライブイベントやワークショップを行えるコミュニティスペースとしての運用を実験的に行っている。短時間の部屋貸しは、コスプレやコワーキング利用に人気で、3時間で2000円と非常に利用しやすい。時間内であれば、部屋やキッチン、お風呂も利用可能だ。

尼崎とオーストラリア。大正・昭和と平成・令和。様々なものを感性で組み合わせ、昇華させてきた京子さん。最後に尼崎市民として大切にしているという事を教えてくれた。それはズバリ……

「人情ですね。尼崎には数年前に再建された日本一新しい城の尼崎城があります。尼崎城のジョウは人情のジョウだと思っています(笑)。それを忘れず、市内市外問わず様々な人とのコミュニケーションを大事にしていきたいです」


関連リンク

竹家荘旅館のホームページ:https://takeyaso.com

史枝さんInstagram:https://www.instagram.com/fumieda4587/

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