昨年12月に脊柱管狭窄症の手術を受けたプロレスラーの蝶野正洋は車いすや杖(つえ)を使う生活を体験しながら、救急救命イベント出演や講演などのスケジュールを精力的にこなしている。新日本プロレスの同期で闘魂三銃士の盟友・武藤敬司が来春の引退を表明し、有終の美を飾る対戦を臨むファンの声もあるが、今は一歩ずつ、2014年以来となるリング復帰に向けて、慎重に歩みを進めている段階だ。そんな蝶野が、よろず~ニュースの取材に対し、現在の心境を語った。
激しい受け身を取ることが宿命のプロレスラーとして、腰へのダメージの蓄積から治療を続けてきたが、ついに体が悲鳴を上げた。激痛で眠れず、下半身の神経がマヒして排便もできない。脊柱管狭窄症と診断された。昨年、手術を決意し、退院後は車いす生活を余儀なくされた。その後も歩く距離によって杖を使っている。
6月4日、埼玉県越谷市で開催された首都圏最大級の体験型防災イベント「レイクタウン防災フェス2022」に登場した蝶野は杖をつくことなくステージに立ち、AED体験企画に立ち会った。イベント後、現在の体調や近況について聞いた。
「久しぶりに、きょうは杖なしです。これくらいの動きだったら大丈夫かと。もうちょっと長い動きになると(杖は)必要なんですけど。車いすに乗ることはなくなりましたが、空港に行った時に貸してくれたりして、歩く距離が長い時はありがたかった。一般の人たちもそういう症状はものすごく多いので、今回の狭窄症についての取材を何回も問い合わせがあったりした。今回、悩んでいる人が回りに多いのが分かりました。『手術しました』って言ったら、今まで腰痛の話もしなかった人とやたら腰痛の話になったりしています」
防災イベントの冒頭、蝶野は「越谷は私がプロレスラーとしてデビューした街なんです」とご当地ネタを披露。1984年10月、新日本プロレスの越谷市民体育館大会で武藤敬司と対戦した初陣を振り返った。その武藤は来春までに引退する意向を表明した。
今年1月、ユーチューブで対談した武藤から「蝶野と引退試合をすることが夢」と呼びかけられていた。デビュー戦の一騎打ちから40年近い時を経てラストマッチが実現するか。周囲は期待するが、無理はできない。ただ、「何らかの形で応援したい」という思いを抱く。武藤が痛めている関節の手術に踏み切るかどうか、そこは本人の決断を尊重した上で、蝶野は自身が手術に踏み切った経緯も踏まえながら気にかけている。
「プロレスラーの職業病だと思うんです。他の先輩たちにしても同じような形になっていて。早く判断する人は早めに手術する人もいるんでしょうけど、オレはそれを自分の中でできなかった。試行錯誤して、あっちいったりこっちいったり、今はこの治療じゃないんだとか、3年近く時間がかかってしまっていた。それで手術をした。まもなく60代に入る年代。(手術を)やってなかったら、いつかどこかでパンクしたり、動かなくなっていたでしょうね」
この6月も全国を回っている。5日には福岡県大宰府市で開催された「防災フォーラム」にパネリストとして出演。19日には兵庫県加古川市で「蝶野流!仕事と家庭の両立論」と題した講演を行なう。
「(体のダメージには)いろいろステージがあって、自分なんかもファイナルステージに上がってきていたんで、最終的にはメスを入れるなり何なりの大きな判断をしなきゃいけなかった。やっぱり段階があるから、その段階で何ができるか、この時期だったら何をやったらいいかということについて、総合的に情報を取り入れていきたいというのはありますね」
蝶野は自分の体との〝対話〟を続け、試行錯誤しながら前に向かう。