2019年2月に64歳で他界した〝不世出の、不思議な女性マンガ家〟うらたじゅんさんをテーマにしたトークイベント「うらたじゅんさんを忘れない その生涯、その作品」が15日、東京・国立市のギャラリービブリオで開催され、夫でフリーライターの荒木ゆずる(本名・浦田隆二)さんが、担当編集者だった高野慎三さん、漫画家仲間のおんちみどりさんとともに亡き妻の思い出を語った。
うらたさんは大阪府立四條畷高校卒業後、北海道から鹿児島までヒッチハイクで流浪生活を送った末に、荒木さんと出会い、1976年に結婚し長女を出産。79年に初めて漫画を投稿し、同人誌や演劇活動を行ってきた。97年に初の単行本「赤い実のなる木」が発行され、同時期に北冬書房の編集者・高野慎三さんと知り合い「幻橙」で全国誌デビュー。以降は「ガロ」などに発表の場を広げ、2008年には読売新聞夕刊で唐十郎の連載小説「朝顔男」の挿絵を担当。幻想的な、子どもを意識した、ノンフィクション的で、シュールな…高野さんが「ペン先を変えると絵柄も作風もガラリと変わり、いずれも水準が高い」と評する才能の持ち主。マイナーながら漫画家、イラストレーターとして多くの作品を残した。
荒木さんは「彼女にとって97年以降の人生はウキウキしていたと思います。そしてずっとがんで…4回手術しましたが、それ以前は平凡な暮らしでしたから」と、順調だった表現活動と、2002年の胃がん手術以来、食道がん、乳がんと転移していった闘病生活の明暗を指摘。「初期の漫画には僕が出たりしていたのに、東京での仕事を始めてから僕は出てこなくなりました。生きがいのようだった彼女のブログにも僕は出てきません。東京コンプレックスが強かったからか、結婚前のことも話さなかった。僕がこういうイベントに出るのも(天国で)嫌がって、私のイメージ壊してんのか、と怒ってると思います」と笑いを誘った。
うらたさんの遺作は2019年1月、読売新聞関西版「広論」に掲載された挿絵だった。大阪・枚方市に暮らし、なじみ深い京阪電車の特急プレミアムカーを描いた作品。荒木さんは18年のクリスマス、資料用に電車を撮影したが、うらたさんが気に入らず、1週間後の元日に病を押して二人で再び撮影した思い出を披露。「結局いい写真は撮れず、僕がクリスマスに撮った写真で使えそうなものから描きました。娘と孫がホームからお見送りしてるのですが、車内の窓越しに小さく僕が出てます。何十年ぶりかで僕を登場させて、いろいろとごめんなさい、とこっそり入れてくれたんですかね」と、しみじみ語った。
うらたさんの未発表を含めた80以上の作品が、約600ページのボリュームで収録された「ザ・うらたじゅん 全マンガ全一冊」(第三書館)が19年12月に発売された。荒木さんは「私の家にまだ70冊くらいあります。彼女のブログにアドレスがあるので、どうぞ直接メールで私宛に注文して下さい」と会場を笑わせ、イベントを締めくくった。
トークイベントは「ガロ」編集者だった高野慎三氏が北冬書房を立ち上げて以降50年間の活動を振り返る「北冬書房半世紀展 孤高のマンガ表現の軌跡」の企画。同展は今月24日まで開催中。この模様は、元ガロ編集長の山中潤氏が主宰するユーチューブチャンネルJunsTVで、後日配信される。