イラン出身の俳優で、人権活動を続けるサヘル・ローズの新著「言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”」(講談社)が出版された。生い立ちから思春期にかけて苦難の道をたどった体験を糧に、「アナタの力になりたい」という願いが著書に込められている。本人に思いを聞いた。
1985年、イラン生まれ。4歳で孤児となり、現地でフローラさんという女性と養子縁組をして8歳で来日。日本では路上生活を余儀なくされるなど貧困に直面し、中学時代には差別、いじめを体験した。芸能活動の一方、日本の児童養護施設を支援し、海外ではシリア難民キャンプなどでの支援活動を続け、2020年に米国で人権活動家賞を受賞。単著としては「戦場から女優へ」(文藝春秋、09年1月刊)に続く2冊目となる。
今回の出版を受け、サヘルはよろず~ニュースの取材に対し、「13年ぶりに出すこの1冊に込めた思いは『出会ったすべての人々への感謝』と同時に、私が13年前には向き合えなかった自分や親との葛藤、世界への関心や、生きることへの問いかけ、です。自分を否定してきたからこそ、自分を肯定する大切さに周りの方々からの言葉によって気付かされました。その言葉を、今度は読者へつなげていきたい。自分を否定する社会だからこそ、『大丈夫だからね』と伝えたい一冊です」と語る。
「頑張らなくていいよ」。本書でキーワードの一つとして登場する言葉が胸に響く。
貧困と国籍に起因する中学時代のいじめ。教師らが発する「頑張れ」が最も嫌いな言葉だった。「何を頑張ればいいの?安易な『頑張ろう』は相手をより追い詰め、息ができないほどまでに苦しめることにもつながる」。今はそう言える。
サヘルは「今も、いじめと直面している方と出会ったらこう伝えたい。『頑張らなくていいよ』と。泣きたい時は泣いていい。叫んでもいい。休んでもいい。学校がすべてじゃない。大丈夫だよ、自分の色を抱きしめて生きてごらん。自分を褒めてあげよう」と呼びかける。
日本でもらった「情」も忘れない。小学校時代に一時期、公園で生活していた時、飢えをしのぐために通ったスーパーの試食コーナーで働く女性から食べ物の差し入れがあり、学校では〝給食のオバちゃん〟が窮状を察して家に泊めてくれた。相手の国籍など関係なく、ただ「目の前で困っている人」として接してくれる人がいた。
そして、本書で描かれる大きな存在が養母のフローラさん。中学3年時、いじめによって自殺を考えた時の対応に救われた経緯が描かれる。
「みんなと同じになりたい」。周囲に同調しようとしても、狭い社会である中学校の教室では異質とみなされた。三者面談で学校を訪れた母の香水から「サヘルのお母さんは臭い」と言われ、イラン人に対する偏見から自身は「サヘル菌」と呼ばれた。3年時、理科の実験用に用意したバラを男子生徒に踏みつぶされことなどが引き金となり、死を決意した。
1人で決行しようと学校を早退して帰宅すると、フローラさんがイスラム教の聖典「コーラン」を抱えて泣いていた。「どうして泣いているの?」と聞くと 「疲れたよ」。初めて母の口から聞いた「疲れた」という「弱さ」をさらけ出した言葉が「なんだかうれしかった」と振り返る。「私も疲れたんだ、死にたいんだ、お母さん」と訴えると、フローラさんは「いいよ、でも、お母さんも一緒に連れて行って」と応じた。
この「いいよ」 について、サヘルは「死にたいという娘に対して最大級の愛情に満ちた言葉だった」と感謝する。
フローラさんが数年前、がん告知されたことも明かした。「育ててくれたフローラへの恩返し」。支える立場となった今、当サイトに母への思いを吐露した。
「言葉にしたくっても単語も足りないほど、偉大な、寛大な母です。フローラの存在なくしては、サヘル・ローズは存在していない。今まで、母の言葉を外に出すことは少なかったのですが、この本では、母の言葉が今の時代、多くの方々の背中を押すと思っています。母に贈る最大の感謝本であり、あなたの育てた娘はちゃんと強く生きてるから安心してね、というお手紙でもあるかもしれないです」
母に対する感謝の思いは外にも開かれている。
「児童養護施設はもちろん、大人たちへも手を差し伸べてゆきたい。今、救われるべきは『全ての人』。今後も、自分の背中といいますか、姿を見てもらいながら、いろんな方々へも、こういう関わり方もあるんだと知っていただくいい機会作りになれればと、思いを持って活動を続けてまいりたいです。目標は、誰かの生きがいになれる人生」
フローラさんが命名してくれた「サヘル・ローズ」には「砂浜に咲くバラ」という意味が込められている。