「心霊現象」が録画、録音機器の高性能化によって「証拠」として記録される時代にあって、それでも足を運んで「人の話」を聞くという、一見、アナログ的な姿勢の重要性を説く第一人者がいる。元「スタジオジブリ」制作デスクで、現代の怪談を収録した「新耳袋」シリーズなどで知られる作家、怪異蒐集家の木原浩勝氏に話を聞いた。
木原氏は1960年、兵庫県尼崎市生まれ。大阪芸大を卒業後、83年に前身の制作会社からスタジオジブリの創立メンバーとして入社し、「天空の城ラピュタ」の制作進行を経て、宮崎駿監督のもとで「となりのトトロ」や「魔女の宅急便」を手がけた。90年に退社後、日本の怪談史に一石を投じる作家として「新耳袋」シリーズ(全10巻、角川文庫)などを世に送り出してきた。
今年9月下旬、心霊映像撮影に挑むシリーズ中でも最大の問題作となった「怪談新耳袋Gメン ラスト・ツアー」(2021年公開)の上映イベントが行われた都内のライブハウス。「天井から降りてくる白い手」などの映画からカットされた秘蔵映像が公開される中、ゲスト出演した木原氏は心霊現象が記録として撮影、録音される時代において、目に見えないものを見抜く能力について、故郷・尼崎での原体験を回顧した。
「小学校低学年の時に心臓に針の先ほどの小さい穴が空いていたのを、神戸大学で精密検査を受けて心電図で発見された。実はその前に、尼崎の地元にいた『おばさん』から『この子、心臓がおかしいんじゃないかしら。心臓のあたりに黒いモヤモヤがある。1度、診てもらった方がいい』と言われていたんです。父親は『そんな馬鹿な』と半信半疑だったけど、心配だから精密検査を受けたところ、『心電図に雑音がみられます。しかし、子どもは自分で治す力を持っていますから、様子を見ましょう。もし、成長してもそのままなら大きな手術が必要』と診断された」
さて、それからどうなった。話の続きを聞こう。
「親は『この子の運にかける』と様子を見る決断をします。やがて、小6になる前に心音の雑音が消えました。その報告のために久しぶりにおばさんを訪ねると、『黒いものが消えてるじゃない。治ったのね』と開口一番に言われました。いまだに説明は不可能ですが、モノを見通したり、人を見抜ける力のある人と出会う機会に恵まれていて、そういう人たちに母は随分と私の未来を耳にしていたようでした。これは私が小学生だった50年くらい前の話ですけど、昔は世の中に不思議な能力を持った名もなき人たちがいたように思います」
子ども時代の原体験が怪異蒐集家という現在につながる。ちなみに「新耳袋 第一夜」の第一章は「幼い時に見聞きした六つの話」。先生や母親から聞いた話が書かれている。
木原氏は、よろず~ニュースの取材に対して「僕は本物だと思える何かが知りたいと思っている子どもで、インチキくさい話をする中高生に『それはウソや!』と言う生意気な子どもでした。本物であればあるほど多くの人と共有でき、共有できないものはニセモノだという臭いにも似た何かを感じるんです。『確かなもの』は体にゾワゾワ感が走ります。自分の耳を信じてまとめた話が『新耳袋』になるわけです。人と出会い、人から話を聞き、ゾワゾワした話を集めた」と振り返る。
仕事として「怪異」を取材する立場になって約30年。「必要と思えない能力なら、むしろない方がいい。自分の足や目や耳と経験則のおかげで私は怪談の取材を長く続けてこられたたんです」。そのスタンスを貫く。現在、ラジオ関西(神戸市)で毎週水曜夜に放送されている日本唯一の怪談専門ラジオ番組「怪談ラヂオ~怖い水曜日」のパーソナリティーも務める。
「7年続いている番組ですが、その最大の理由は2つあると思います。ひとつは怪談番組だからこそ〝怪談を話さない〟です。これだと話の『ガス欠』を起こしません。怪談を考察して読み解いていくわけです。もうひとつが〝予定調和〟にしないことです。リスナーの投稿を別のパーソナリティーに読んでもらって即答していく。つまり取材と同質にするわけです。話すという『出力』に気が向けられがちですが、実は聞く力、つまり『入力』にこそ怪談の醍醐味があると思うんです。これらがラジオと相性が良かったんですね。主役は常に『怪談』であって、決して語り手ではない。そういう番組です」
怪談は「聞く力」に宿る。木原氏はその本質をラジオの可能性に重ねている。