霊骨は宋の時代に長安(現西安)から南京に移動したようですが、1851年の太平天国の乱で行方不明になりました。ところが、第2次大戦中の1942年に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に三蔵法師の頭骨を納めた石箱を発見。当時の南京政府に返還されましたが、1944年に南京玄武山に「玄奘塔」が建立され奉安された際、日本へも分骨されたという話です。
日本へ渡った骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移されました。その後、三蔵法師がインドから持ち帰った仏典を漢語訳するため建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開。第2次大戦後、三蔵法師と縁の深い慈恩寺が奉安に最適の地とされ、1950年に十三重の花こう岩の石組みによって塔が築かれたのです。ちなみに奈良・薬師寺の「玄奘三蔵院伽藍」に安置された霊骨は慈恩寺から分骨されたものです。
鎌倉に住んでいた夏目雅子が、この地を訪れたのかは分かりません。ですが、『西遊記』を見ていた私には、この塔の前で彼女が何かインスピレーションを得たとしか思えてなりません。