「SPY×FAMILY」「怪獣8号」など、注目作が続々と誕生する集英社のwebマンガ媒体「少年ジャンプ+」に異色の作品がある。2019年4月にスタートした「彼女と彼」は、中国在住の薫(くん)先生が描く現地の若者による恋愛物語だ。国境を越えた連載の舞台裏、作品の意義について、現担当編集者の糸生恵一さん、初代担当で連載を立ち上げた林士平さんに話を聞いた。
「…嫌じゃないよ…?」この吹き出しを巡り、作家側と編集側が意見を交わす。
―ここは質問じゃないので「?」がない方がいいでしょうか
―この場合「?」がないと、嫌じゃないという「断定」が強く出ます。嫌じゃないはずですが、少し戸惑うニュアンスを入れたかったので…
〝現場〟は編集部でも喫茶店でもなく、メッセンジャーアプリのWeChat。糸生さんは「現地で直訳された日本語のニュアンスを直す作業が一番大変です」と語る一方、作業自体については「自動翻訳で大体のことはお互い分かります。細かい部分や電話する際は、現地に通訳がいて全く問題ありません。本当にシームレスです」と続けた。
作品の設計図にあたるネームもオンライン。「表情を見せて下さいといった、日本語の指示はすぐに翻訳されます。タイムラグはほとんどありません」。国境、言葉の壁は決して高くはない。ネームから完成まで全てデジタル。コロナ禍の影響で、国内の担当作家でも「会うことがない方はたくさんいますよ」というのが制作の現状だ。
「彼女と彼」は中国を舞台に、2組の男女4人による恋愛劇。卓越した画力が情景、心理描写を支えている。同作は18年の京都国際漫画賞の海外部門大賞に輝いた。審査員を務めていた林さんは「とにかく絵がメチャクチャ上手い。絵だけでも注目される才能の持ち主で、特に日本では見られない色彩感覚に目を奪われました」と衝撃を受けた。
授賞式から程なく、薫さんが所属する重慶のスタジオに2泊3日の弾丸出張。日本の編集者とタッグを組む、吹き出しは中国語、日本とは逆だが中国では一般的な左開き、日本の後に中国でも発表、などの条件で連載が決まった。
連載第1、2話は大賞受賞作をそのまま掲載。全編オールカラー。既に完成していた薫さんのプロットに沿って完結まで描き切る。左開きは「最後まで悩んだ」というが扉ページに読み方ガイドを入れて対応。ネームは「最初は中国の若者の感覚が分からなくて。でもその感覚を消してしまってはダメなんです」と、作家に寄り添ってきた。
独特の作風、左開きで数字を稼ぐ訳ではないが、編集者の2人に焦りや迷いはない。糸生さんは「こういった連載の形は他では聞いたことがないですね」とどこか誇らしげ、林さんは「未来が明るそうな才能の初期衝動を見届けます。後に大ヒットが出れば、今はその過程ですから」と呼応した。林さんは今作の編集方針に「この作品があるからこそ、中国の作家がジャンプ+をファーストチョイスにするかもしれない。うまくいく方法ばかりを続けると、やがて摩耗してきます。余裕がある間に実験的なことに挑むのは、メディアとして正しいと思います」と力を込めた。
薫さんには中国での交渉の際、将来的に日本でのヒット作を目指したい編集部の構想を伝えている。今後について、糸生さんは「作中に食事場面がよく出てくるので、中国と日本の食文化が融合した話で、レシピも登場させたい」と言えば、林さんは「中国の殺人事件をモチーフにしたダークな読み切りはどうでしょうか」と、それぞれが思い描いた。
物語終盤に差し掛かった「彼女と彼」。両編集者に共通するのは、見初めた才能に対する揺るぎなき信頼。注目作を次々に生み出すジャンプ+の秘密を垣間見た気がした。