ネット未開の80年代 アニソン歌会の思い出 女性の質問にウケ狙い「好きな花はケロニアです」

山本 鋼平 山本 鋼平
 アニソン界の大御所である水木一郎
 アニソン界の大御所である水木一郎

 大阪らしく笑いに満ちた歌会だった。ある会ではハッチを名乗る10代の少女が突然登場。「なぜ『みなしごハッチ』なんだ、と皆がざわつき、色めきました。結局、彼女は1回しか姿を見せませんでした」と苦笑する。

 勤務先を公表する珍しい者もいた。奈良にあったアニメショップ・パロディの店長で「大阪芸大の同級生に庵野秀明がいて仲が良かった」と吹聴。90年にガイナックス制作、庵野秀明監督による同店のアニメCMが発表された際は、思わず膝を打った。

 アニソンや特ソンの歌詞を掲載した同人誌も忘れがたい。豪華版を作製した際、石森プロ出身の漫画家・成井紀郎が表紙を担当し、同人誌では異例となるJASRAC(日本音楽著作権協会)に申請。著作権使用料がかさみ「赤字や」と、幹部が頭を抱えていたという。

 90年代前半、仕事の都合でATOMを離れた小谷店長。楽しい思い出とともに、いまだ納得できないことがある。「僕が大好きな『超新星フラッシュマン』のエンディング曲を歌ったとき、幹部がこれおもんないな、と言い、1番で打ち切られたんです。今でもなんでや、って思いますね」。そう振り返り、朗らかな声で笑った。(デイリースポーツ・山本鋼平)

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