中学受験の勉強は、教材ややり方だけでなく「環境づくり」も大切だ。どんなに優れた参考書をそろえても、机に向かうたびに親子げんかが起きたり、勉強の段取りが不明確だったりすると効率は落ちてしまう。特に塾なし家庭学習では、親子が毎日向き合う時間が長いぶん、ちょっとした工夫が勉強をスムーズに進めるカギになる。
2022年に長男(現在高校1年生)が塾なしで中学受験を終え、現在は次男(小5)が通信教材を使って受験勉強中の筆者の家で「これは欠かせない」と実感したのが、「時計」「ホワイトボード」「付箋」の3つだ。見た目は地味だが、日々のストレスを減らし学習を効率化する“三種の神器”である。
まずは、学習の「時間管理」を助けるタイマーやストップウォッチだ。「時間管理」と聞くと、子どもを時間で追い立てるような堅苦しい印象を持つかもしれないが、実際には親子双方にメリットが大きい。子どもが自分で勉強やゲームの始まり・終わりを決め、タイマーをセットすれば、親が「まだやってるの?」「そろそろ始めなさい」と口を出す必要がなくなる。これだけで口げんかの回数が減り、余計なイライラも和らぐ。
また算数の計算問題や漢字練習など、短時間で集中して取り組む課題は、時間を計ることで効率がぐんと上がると感じている。筆者の家でも、100マス計算から始まり、いろいろなドリルで「〇分以内に解く」と区切りをつけてきた。子どもにとっても「ピッと鳴るまで頑張ろう」という意識が生まれ、集中力が持続するようだ。
ただ、タイマーやストップウォッチを買っただけで、いきなり時間管理ができるようになるわけではない。幼いころから「あと10分で出かけるよ」「ご飯までに片づけよう」といった声かけで、少しずつ時間を意識させておくことが必要だ。そうした日々の積み重ねが習慣化の土台となり、初めて効果を発揮する。
タイマーは高機能なものもあるが、100均で十分。家のあちこちにいくつか置いておけば、必要なときにすぐ使えて便利だ。管理の象徴に思われがちな時計だが、実は“子どもが自分の時間をコントロールする主導権を持てる”自由の道具になるのだ。
次に欠かせないのがホワイトボード。勉強計画をノートに書いて管理する方法もあるが、家族で共有するにはホワイトボードが圧倒的に便利である。筆者宅ではリビングに小サイズのホワイトボードを設置し、子どもと共有したいことを書いている。
長男の中学受験期や次男が小4の頃は、毎朝「今日やること」を箇条書きにしていた。たとえば「算数・演習問題集・実践演習①~⑤」「社会・テキスト・要点チェック」といった具合に、その日のタスクをすべて書き出し、終わったら子どもが自分で消していく。この「消す」という行為が達成感につながり、次の課題にも前向きになれる。親が「これやったの?」「どこまでできたの?」といちいち確認する必要もなくなり、余計な衝突を減らす効果もある。
もっとも、次男が小5になった頃からは、毎日のタスクを書き出すことを嫌がるようになったため、現在はイレギュラーな予定や特に共有しておきたいことだけを書き込むようにしている。ホワイトボード自体は小さいサイズなら100均で十分。ただし、マーカーはすぐにペン先がつぶれたりインク切れしやすいので、ノック式の少し高めのものを使うのがおすすめだ。
三種の神器の最後は付箋である。その日に取り組むページに貼っておくと、パッと目的のページが開けるので探す手間がなく、勉強へのハードルが下がる。また、別のタイミングで見直したい問題にも付箋を貼っておくと、すぐに見直しにとりかかれる。
長男の過去問演習では、色分けを導入した。「わからなかった問題=赤」「間違えた問題=黄」「週末に父と解く問題=青」とルールを決め、子どもは該当するページに貼る。後から見返せば、弱点や親と取り組む問題が一目瞭然になり、学習効率が上がった。さらに良いところは「チェックが終わったら剥がす」仕組みで、付箋が減っていくと「だいぶ進んだな」と視覚的に実感でき、モチベーションにもつながる。小さな工夫ではあるが、毎日の勉強をスムーズに進めるうえで欠かせない存在だ。
これらは特別なものではなく、100均でも手に入る身近なアイテムだが、使い方次第で家庭学習のストレスをぐっと減らしてくれる。「三種の神器」はあくまで筆者の家の実例にすぎないが、共通して言えるのは“道具があると親子ともにラクになる”ということ。中学受験は長期戦だからこそ、無理なく続けられる工夫が欠かせない。これから挑む家庭には、ぜひ「自分の家に合った神器」を見つけてほしいと思う。
<プロフィール>
野田 茜
2男1女のママライター。2022年、高1長男が完全塾なしで中学受験をし、偏差値(四谷大塚)60半ばの中高一貫校へ進学。現在、小5次男が通信教材を利用し自宅学習で中学受験に挑戦中。自身は中学受験未経験で大学まで公立育ち。中学受験の問題の難易度にまったく歯が立たず、逆に子供に教えられる。「ママ、教えてあげよっか?分かる?」と次男に心配される日々。