昭和の東映や角川など映画界の舞台裏を当事者の証言で綴った新刊書籍「実録!東映三角マーク宣伝部」(立東舎)が反響を呼んでいる。2014年11月に亡くなった俳優の菅原文太さん(享年81)の妻・文子さんも同書にコメントを寄せた。
文子さんは山梨県北杜市で文太さんと開設した農業生産法人「おひさまファーム竜土自然農園」の役員を務める。没後12年となる今も、土づくりから始めた亡き夫の遺志を継ぎ、有機農業に取り組む。
文子さんは文太さんと親交のあった東映の元宣伝部長・福永邦昭氏の著書に対して「昔は才能ある奇人が集まっていた気が致します。個性派揃いで『実録 東映』を撮ったら面白いだろうと思います」とメッセージを送った。
文太さんはファッションモデルから俳優に転身したものの、下積み時代が長かった。新東宝を経て、松竹で出会った俳優・安藤昇さん(2015年死去、享年89)の伝手(つて)で東映に移籍。数多くの作品を経て「仁義なき戦い」シリーズ5作(1973~74年、深作欣二監督)と「トラック野郎」シリーズ10作(75~79年、鈴木則文監督)で東映の大黒柱的な存在に。1970年代、40代で遅咲きを果たした苦労人だった。
この代表作2シリーズを担当したのが福永氏。文太さんより7歳下の現在86歳。63年、東映に入社し、宣伝プロデューサーとして活躍した。同書でも構成を担当した映画評論家の尾形敏朗氏を相手に文太さんのエピソードを生き生きと語っている。
「文太さんはスタンドバーみたいなところで、ちびりちびり飲むのが好きで、自分が俳優になるまでの過去を話し出したことがある」と切り出し、「モデルになる前は神主をやっていた」などの裏話を披露。そんな異色の経歴に着目し、福永氏は「深作監督の『現代やくざ 人斬り与太』(72年5月公開)の頃に、デイリースポーツの島(久夫)記者に聞き語りの連載をやっていただき、それが評判になった」と振り返った。
32年3月生まれの島氏は当時40歳。福永氏は当サイトに「島さんはスキャンダルをすっぱ抜こうというようなタイプではなく、いい意味で、スポーツ紙の記者らしくない、バランスの取れた穏やかな人。この人が適役だと思った。文ちゃんはアルコールが入ると何でもしゃべっちゃうが、島さんはお酒を飲まず、冷静に話を聞いてうまくまとめてくださった」と回想した。
そうして深作組で頂点に駆け上がった。「当時の文ちゃんは“これから”の時で、どうしても、鶴田(浩二)、高倉(健)、若山(富三郎)には及べない。(中略)今ひとつという時に深作さんと出会って、水を得た魚っていうかな。やっぱり監督と俳優は出会いだよな」。さらに、福永氏は文太さんの酒にまつわる話も披露した。
「(新宿)ゴールデン街にも興味本位で行ってましたね。あそこに行くと、いろんな文化人と会話ができるっていうことでね。他の俳優と違うのは、いろんなメディアや人との付き合いが多かった。深夜放送に出たり、テレビや雑誌の対談に出たり、僕が提案するメディアは、ほとんど拒否しなかった」。トラック野郎シリーズ第2作「爆走一番星」(75年)の頃に「(マドンナ役の)あべ静江とキンキン(愛川欽也さん)の3人で飲んだ」ところ、「あべ静江がやたら強いんですよ。ナポレオン1本、横に置いて。その前に文ちゃんが酔いつぶれちゃってた」という裏話を明かし、「酒はそんなに強くない」と評した。
その上で、福永氏は「ホント、ふつうの人でしょ」と実感を込める。「健さんなんかは別格で話もできないくらいの人だったけど。文ちゃんは車に乗らず電車で通う。新聞読んでれば誰も気がつかないからって。本社での打ち合わせにはいつも時間どおりに来る。『トラック野郎』で免許取って、車買うのかなと思ったけど買わない。健さんはポルシェとか、千葉(真一)はモーガンとか、他の俳優はみんないい車に乗ってるわけですよ」など、スターになっても庶民派を貫いた姿を明かした。
多くの著名人も同書にコメントを寄せた。角川映画のカリスマ的プロデューサーとして登場する角川春樹氏は「自分の知らない事もあったし、忘れた事もあったが、あの頃を蘇らせてくれた」。アクション女優の草分けとなった志穂美悦子は「これは大いなる物語です。夜空の星のように輝いています」。70年代にアクション俳優として活躍した武道家の風間健は「私とブルース・リーが武道を通して親密になったことを知る唯一の証人」と福永氏を評した。まさに、文子さんの言う「実録 東映」の魅力が詰まった一冊となっている。