日本映画界で本格的なアクション女優として一時代を築き、現在はフラワーアーティストや「鬼無里(きなさ)まり」名義のシャンソン歌手として活動する志穂美悦子(70)が5日、都内の映画館・目黒シネマで行われたトークショーに登壇した。新刊書籍「実録!東映三角マーク宣伝部」(立東舎)の出版記念イベントとして開催され、志穂美はヒロインを演じた映画「宇宙からのメッセージ」(深作欣二監督、1978年公開)上映後、同書の著者で東映の元宣伝部長・福永邦昭氏(86)、映画評論家・尾形敏朗氏(71)と作品の舞台裏などを語り、表現者としての思いや将来的な女優復帰の可能性にも言及した。
志穂美は17歳で師匠となる俳優・千葉真一さん(2021年死去、享年82)が主宰するジャパンアクションクラブ(JAC)入りし、73年にデビュー。同年、特撮テレビドラマ「キカイダー01」第30話から登場した「ビジンダー」の人間の姿であるマリ役で子どもたちのアイドルとなり、74年には空前のカラテ映画ブームに乗って東映の「女必殺拳」シリーズで主演し、吹き替えなしのアクションで19歳にしてスターとなった。85年には主演映画「二代目はクリスチャン」が大ヒットしたが、87年にシンガー・ソングライターの長渕剛(69)との結婚で芸能界を引退。子育てを経て、2010年代以降は花創作家として活躍し、24年にはシャンソン歌手としてデビューした。
この日のチケットは即日完売。引退後、「トークショーはずっとお断りしていた」という志穂美が満員の会場でスクリーン前に立った。最後の出演作「男はつらいよ 幸福の青い鳥」(山田洋次監督)が86年公開なので、実に40年ぶりとなる。
志穂美は「ぺーぺーだった私にとって、宣伝部長の福永さんはありとあらゆるメディアに対応してくださった方。『トラック野郎』の企画もされた方でした。この本には福永さんの生き様、映画にかけた情熱がまとめられている。私は『不可能を可能にしようとして、自分の道を作る、ちょっとイカれた人』が好きなんです」と“封印”を解いて壇上で恩人と向き合った経緯を明かした。
「宇宙からのメッセージ」で、志穂美はアンドロメダ星雲にある惑星のエメラリーダ姫を演じ、千葉さん、真田広之のJACファミリーと共演。「私が22歳の時でした。京都で2月に撮影があって、とても寒く、穴を空けた一斗缶に入れた炭火に当たりながら撮影しました。(米テレビ)『コンバット!』の(主役)サンダース軍曹役のヴィック・モローさんが来られて、その緊張とうれしさで寒さを乗り越えました」と懐かしんだ。
さらに、志穂美は「深作監督に私は育てていただいた。その名前の通り“深夜作業組”と言われ、朝までやるのが当たり前。今だとコンプライアンスがあってできませんけど、当時は深作組に選ばれたスタッフも役者も誇りに思える監督でした。京都撮影所で『仁義なき戦い』の撮影をしている深作監督を初めてこの目で見た時、監督はメガホンを持って駐車場で役者さんと一緒に走り回りながら演技指導をしていた。エネルギッシュな人でした」と、03年に72歳で死去した巨匠を偲んだ。
福永氏から女優復帰の可能性を問われると、志穂美は「私、104歳まで生きるつもりでいるんで。それまでに深作欣二監督のような方が現れて、非現実的な志穂美悦子を使ってみたいと思ってくださったら、『ない』とは言い切れない。妖怪とか魔女の役とかを100歳くらいになった時にやれたらいいなと。その時にバリバリ動ける体でいて、ますます非現実的な女性でいようと私は思っています」と誓った。
その言葉通り、体を鍛え、自然体の食生活を送る。「ボクシングも始めました。ベンチプレスはかつて52キロ、今は45キロくらい。(花創作で)流木を持ち上げることがあるので(筋力は)絶対に必要なんです。好きな料理はと聞かれたら『粗食』と答えます。お味噌汁、御飯、焼き魚といった日本古来のシンプルなもの。プロテインは一切、採らない。ナチュラルなものだけで。お酒もたばこも一切、のめないです。酔っ払ってみたいんですけどね。昨日のことは忘れた~とか、ここで寝てるわ~みたいなことをやってみたいけど、飲めないんですよ」
さらに言葉は弾んだ。「私は人よりちょっと動ける体をもらったので、ずっと動ける体でいないとバチが当たる気がして…。動けなくなるのは申し訳ない、今こうして動けてありがたいという気持ちでずっとトレーニングを続けています。今、ヘリコプターにぶら下がれと言われてもぶら下がれるなと(笑)。そんなことはさせてくれないでしょうけど、そういう肉体でありたいと思ってます。生きることは動くことですね」。銀幕を去って40年の月日が流れたが、実人生が「アクション」であり続ける。