「メイショウ」の冠名で知られる馬主の松本好雄氏が8月29日未明に膵臓がんのため死去したことが2日、分かった。87歳。代表取締役会長を務めていた「株式会社きしろ」が発表した。
松本氏は1938年1月6日生まれ、兵庫県出身。74年、日本中央競馬会に馬主登録し、皐月賞、ダービー、天皇賞春秋連覇を果たしたメイショウサムソン、オークス、秋華賞、エリザベス女王杯を制したメイショウマンボ、今年の宝塚記念覇者のメイショウタバルなど、数多くの活躍馬を送り出した。今年8月23日に個人馬主として初となる所有馬によるJRA通算2000勝を達成したばかりだった。
デイリースポーツ中央競馬担当だった時、2020年春のGⅠ企画の目玉として、予想を依頼したことがあった。兵庫県明石市の「株式会社きしろ」本社を訪れ、渋る松本氏を必死に口説き落とし、何とか桜花賞、天皇賞・春、ダービーで予想することを了承してもらった。恐らく、こちらの泣きそうな顔を見て、かわいそうだと思ったのに違いない。
座右の銘「人がいて 馬がいて そしてまた人がいる」通りの生き方で人望のある人だった。競馬関係者から悪口は聞いたことがなかった。馬を預けても口出しはせず、騎手を誰にするかなど、調教師に一任。また、馬主として競馬界の要職を務め、日本の競馬の発展を担っていた。
2005年にJRA騎手を引退して革職人に転身した佐伯清久さんを取材した時に聞いたエピソード。革職人として当初仕事がなかった佐伯さんを、2007年の天皇賞・春を制したメイショウサムソンの祝勝会に招くと、記念品として財布、コインケース、キーケース50個ずつ製作を直接依頼。関係者に配られ、知名度もアップした佐伯さんから「ホンマに助かりました」と感謝されていた。
松本氏を「会長」と呼んで親しくさせていただき、行きつけの鮨屋では多くの話を聞かせてもらった。若い頃に阪神競馬場のスタンドで観戦していた時に、馬主席を見上げながら「あそこから競馬を見たいなあ」と思ったのが、馬主になるきっかけ。2013年の桜花賞で10着に敗れ、クラシック登録のなかったメイショウマンボを武幸四郎騎手(現調教師)から「オークスに行かせてください」と直訴され、追加登録料を支払って出走すると見事に結果を出した話。当時を思い出しながら、目を真っ赤にして語る姿が印象的だった。
「放牧に出した母馬と子馬が夕方、一緒に(馬房に)帰ってくる風景が好きで」と時間があれば北海道の牧場へ足を運んでいた。競走馬を買うときは、よほど相手がふっかけてこない限りは、言い値で購入。「馬もそうだけど、引っ張っている人が〝どうだ!俺の馬はいいだろう〟と自信を持っていることだねえ」と馬選びのポイントを明かしてくれた。
晩年は家族から「できるだけ行ってほしい」と言われ、なるべく競馬場に足を運ぶようにしていたという。「運動のためです。4000、5000歩になりますね。終わって帰ってくると結構、疲れますよ」と笑った姿が印象に残っている。
馬券の買い方は1点100円で馬単と3連単が基本。「競馬はあくまでも趣味です」と楽しんでいた。1000万馬券が当たったと思ったら、マークミスで…。馬券の失敗談も明かしてくれた。麻雀が好きで、将棋はプロ級の腕前。気さくで豪快で人情味のある会長。最後にお目にかかったのは、昨年、皐月賞を控えたメイショウタバルの取材だった。いつもの鮨屋で競馬談義をして「いつでも遊びに来て下さい」と、帰り際にやさしく声を掛られたのが最後になるとは…。もっといろいろな話を聞かせてもらいたかったです。