大河ドラマ「べらぼう」第26回は「三人の女」。老中・田沼意次の時代に「天明の大飢饉」(1782〜1787)が発生します。冷害や浅間山の大噴火が重なり凶作となり、飢饉となったのです。特に奥羽や関東地方の被害が大きく、餓死者や病死者が続出しました。飢饉と飢餓は赤子をも襲います。飢えた赤子は母の乳房から乳を吸おうとするのですが、母も飢えた状態であり、乳は絶えて出ません。するとその赤子は餓えが迫り、母親の乳房を食い切り、父親の腿にも喰らい付いたとされます。「病犬」のような状態になってしまったのでした。
凄まじい逸話ですが、天明の大飢饉にまつわる次のような話もあります。1人の巡礼者が南部から秋田に出ようとしたのですが、その時、至るところに20・30と屍が積み重ねられているのを目にします。餓死者の死体です。日が暮れたので、巡礼者は宿泊させてくれる家を探します。一軒の大きな家を見つけたので、巡礼者は一夜の宿を借りようとするのでした。その家から出てきたのは、1人の老人。その老人は「夜の具はいくらでもあるが、米は1粒もありません。それで苦しくないのなら、泊まってください」と巡礼者に話します。それに対し、巡礼者は「私は廻国の者です。よって米の用意は少しはあります。それを炊いてご老人にも振る舞いたいと思うのですが」と答えるのでした。
するとその老人は「一族の者は皆、死に絶えました。如何なる罪業のためか私1人が死に遅れた。今更、生きていても仕方がない。1日生きれば1日の苦しみ。私はもう物は食べず、1日でも早くあの世に行きたいのです」と語ります。巡礼者は米を炊くため井戸に行き、水を汲もうとするが、一滴の水もありません。家に戻りその事を老人に話すと、それは水が涸れたというよりは「井戸が死人で埋まっているから」ということでした。明かりを持って巡礼者が井戸に行ってみると、果たして老人が話した如く、井戸の中は死屍累々。餓えに絶えかねて、井戸に身を投げて亡くなった人々のご遺体だったのでしょう。
(主要参考文献)
大塚久『鈴木為蝶軒』(鈴木為蝶軒翁景徳会、1925年)。