大河ドラマ「べらぼう」誰袖を千両で身請けした旗本の女性遍歴と豪遊とは? 識者が語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(tukinoto/stock.adobe.com)
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 大河ドラマ「べらぼう」第24回は「げにつれなきは日本橋」。同ドラマに登場する旗本に土山宗次郎がいます。宗次郎は吉原大文字屋の遊女・誰袖を落籍(身請け)したことで評判となりました。それと言うのも身請けの金額が「千両」にものぼったからです。

 ちなみに宗次郎の最初の妻は御徒・日下部七十郎の娘でした。さて宗次郎は安永5年(1776年)に勘定組頭に抜擢されます。彼は勘定奉行・松平伊豆守秀持の配下であり蝦夷通としても知られていました。蔦屋重三郎とも交流がある文人・狂歌師・大田南畝の日記には宗次郎が登場しますが、なかなかの遊びっぷりです。

 例えば天明2年(1782年)正月3日には宗次郎の牛込の邸内(酔月楼)で南畝は酒を飲んでいます。その様は「土山氏の男女交錯」するものであり、乱痴気騒ぎが想像されます(大田南畝『三春行楽記』)。「相酌みて算(かぞ)うること無し」とありますので、痛飲したのでしょう。

 同月5日には南畝と宗次郎はまた遊んでいます。今度は宗次郎は「流霞夫人」という女性を伴っていました。この「流霞夫人」は日下部七十郎の娘や誰袖ではなく、七十郎の娘の次に宗次郎が娶った女性と考えられています。この女性も遊女のようで「七百両」で宗次郎が身請けしたとのこと。

 それはさておき、南畝と宗次郎夫妻はその日、傀儡を観覧しています。3月9日、南畝と宗次郎らは花見に出掛けていますが、その後に大文字屋を訪問(『三春行楽記』)。「誰袖」ら遊女と遊んでいますが、南畝は誰袖のことを「土山氏の狎妓なり」(宗次郎の馴染みの遊女)と記述しています。

 大文字屋で遊んだ後で、南畝と狂歌師・朱楽菅江が共に向かったのが、書肆・耕書堂でした。重三郎が営んだ地本問屋です。そこでも「宴す」とありますから、酒宴が開かれたのでした。午後には「書肆、駕籠を命じ」とありますので、耕書堂が南畝らのために駕籠を手配します。今風に言えばタクシーを呼ぶようなものでしょう。こうして南畝は邸に帰ったのでした。それにしても南畝も宗次郎もよく飲んでいます。

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