鬱病で議員辞職の水道橋博士が語る「地方自治」への思い、区議も視野に 国政復帰は否定、左右超えた「仲翼」で

北村 泰介 北村 泰介
2月に開催された「康芳夫氏を偲ぶ会」の発起人となり、献花台の前でポーズを取る水道橋博士。政治への思いも吐露した=都内
2月に開催された「康芳夫氏を偲ぶ会」の発起人となり、献花台の前でポーズを取る水道橋博士。政治への思いも吐露した=都内

  タレントで著作家、元参議院議員の水道橋博士は2年前に鬱(うつ)病で議員辞職したが、現在も政治活動への意欲を失わず、「地方自治」に注視している。2月に都内で開催された〝伝説の興行師〟康芳夫氏(昨年12月死去、享年87)を「偲ぶ会」に発起人の一人として参加した水道橋博士を直撃し、現在、思い描いている政治との関わりについて、そのビジョンを聞いた。

 2022年7月の参議院選挙に、れいわ新選組から出馬して比例で初当選。8月に初登院したが、その後、鬱病の再発によって11月から休職し、23年1月に議員辞職した。24年8月からライブ活動を再開して現在に至るが、実質約3か月で終わった国政への復帰は視野に入っているのだろうか。

 水道橋博士は、よろず~ニュースの取材に対して「選挙という祭りには高揚しましたし、人生有数の得難い体験でしたが、いざ登院してみれば、国会議員の重責は自分の器に余ることでした。応援してくださったり、投票してくださった方には申し訳なく思います。登山部に入ったら最初に登った山がエベレストで、幸いにも偶然にも登頂を果たしてしまった感じです。次に出馬するようなことは、自分の62歳という年齢のこともあるし、たとえ、票をもらったとしても申し訳ない気持ちもあります。正直、若い人、女性に優先して国会議員をやってもらいたいです。立法府で外交、防衛、経済などの国の法律を、身を粉にして、命を懸けて作る議員としては体力的にもギリギリだと思うし、能力的にも未熟すぎです」と自己分析した。

 その上で、水道橋博士は「だから、僕が再び、国会議員になるのは、今のところの可能性はないです」と国政復帰については否定した。

 一方で、もう一つの視点を示した。

 「ただ、区議会議員などの地方政治にはむしろ関心があります。なぜならば、そもそもの民主主義の基礎から学びたいし、ブライス(※英国の法学者・政治家のジェームズ・ブライス)の言葉にある通りに、『地方自治は民主政治の最良の学校』という思いがあるから。『この道路のここの幅を広げてほしい』とか『地方の再生』というような政治活動ならまだできると思っています。今のところ、次の(区議)選挙に出るというと予定はありませんが、いつかは政治的、社会への貢献は果たしたい気持ちはないわけではないです。地方政治にこそ灰汁(あく)が溜まっていると思っています。それは今住んでいる東京でもよいし、田舎でもかまわないし、まず自分が老後に住む場所を想定しています」

 将来的な選択肢として、現在居住する都内の区議、さらには都議も視野に入れている様子だった。

 水道橋博士は「区議選に出るとなれば、お世話になった『れいわ』から出ます。でも、共産党や、あえて公明党も…というような選択肢があってもいい。康さんがムスリムに改宗までしてモハメド・アリを日本に呼んだという思想にも通じる。僕が一番影響を受けたのは竹中労(※イデオロギーを超えて活動した反骨のルポライター)です。今は蛸壺での議論が多すぎて、本来は『左右を弁別せざる状況』を作りたいという思いがあるから、芸能活動と政治活動を平行線として、沖縄出身の芸能者で(参議院)議員を務めた喜納昌吉さんが言った『右翼でも左翼でもない、みんな仲翼(なかよく)!!』というのが僕のポリシーです」と思いを吐露した。

 「康さんは『死んでも俺の実績は残るよね』とよく言われていて、『俺の映画を作ってくれ』とも言われました。僕はドキュメンタリーが好きですから」。康氏の映画を撮ることは叶わなかったが、自身が被写体となり、その政治活動を追った作品が制作中だという。水道橋博士は「6月に青柳拓監督の『選挙と鬱』という僕の参議院選挙を追ったドキュメンタリー映画が公開されます」と付け加えた。

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