NHK大河ドラマ「光る君へ」第28回は「一帝二后」。主人公・まひろ(紫式部)が女子を出産しました。史実では、藤原宣孝がその子の父親ですが、ドラマでは藤原道長との間に生まれた子となっていました。
長保元年(999)頃、紫式部と宣孝、この2人の間に女の子が誕生します。それが賢子です。想像するに紫式部の育児は大変だったでしょう。父の藤原為時は越前守として越前(現在の福井県)に赴任中。宣孝と結婚したとは言え、紫式部は彼の正室ではなく、妻妾。夫の宣孝と邸で同居していた訳ではありません。もちろん、式部の邸には使用人はいたでしょうが、父も夫もいない邸での子育てに不安を感じることもあったと思うのです。
ちなみに、2人の間に生まれた賢子は無事に成長し、後に藤原彰子に仕えることになります。彰子はあの藤原道長と正室・倫子の間に生まれた長女であり、一条天皇の皇后となり、後一条天皇・後朱雀天皇の生母となる女性です。何より、賢子の母・紫式部は女房(女官)として彰子に仕える立場となります。つまり、時期は異なりますが、母娘共に彰子に仕える身になったのです。紫式部が多数の和歌を詠み、『源氏物語』を著した才女であったように、その娘・賢子も和歌を詠み、それは「百人一首」にも収載されています。
賢子は、母の紫式部とは違い、複数の貴公子(藤原頼宗、藤原定頼、源朝任)と浮き名を流したとされます。この点は性質的には、父の藤原宣孝に似ていると言えるでしょうか。公卿・藤原定頼との恋の和歌も残っています。諸説ありますが、賢子が結婚したのは、藤原兼隆という公卿。兼隆の父は藤原道兼です(兼隆は道兼の次男)。「光る君へ」において、道兼はまひろの母を惨殺するなど悪役として登場しますが、途中で改心し、最後は哀れにも関白就任直後に病で亡くなってしまいます。
筆者は、道兼は最後まで「悪役」として突っ走るのかなと感じていましたが、前述したように途中で改心します。それはもしかしたら、紫式部の娘と道兼の次男が後に結ばれるという説を考慮したのかなどと勝手に想像したりもしています。「光る君へ」において賢子の生涯をどこまで描くのか、楽しみです。