「宇宙戦艦ヤマト」が偉大である理由 研究家がトークイベント 50年でたどり着いた結論とは

山本 鋼平 山本 鋼平
映画「宇宙戦艦ヤマト 劇場版 4Kリマスター」より ©東北新社/著作総監修西﨑彰司
映画「宇宙戦艦ヤマト 劇場版 4Kリマスター」より ©東北新社/著作総監修西﨑彰司

 テレビ放送開始から50年の節目を迎えたを迎えたアニメ「宇宙戦艦ヤマト」。東京国際映画祭でアニメ・シンポジウム「『宇宙戦艦ヤマト』の歴史的意味」が10月31日に行われ、アニメ・特撮研究家で明治大学大学院特任教授の氷川竜介氏が登壇した。1960年代のテレビ文化を振り返りつつ、「ヤマト」という作品が持つ歴史的な意味、日本のアニメーション史に大きな足跡を残すことになった理由について、同映画祭のプログラミング・アドバイザー藤津亮太氏を相手にトークショーを行った。

 「ヤマト」の放送が開始された1974年は高校2年生だった氷川氏。「自分の周りの友だちはビックリして、翌日はその話で持ちきりだった」と当時の衝撃を語った。その感激の大きさから、制作スタジオを訪れ、スタッフと交流を重ねた。制作資料をコピーし、音源を録音するなど、現在に至る活動への大きな転機となった。

 日本初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の放送が1963年。「ヤマト」放送開始までの11年を、氷川氏は「テレビの成長と自分の進歩がリンクしていった」と述懐する。特撮とアニメ、それぞれの視点で語った。

 特撮では1966年の「ウルトラQ」から半年後の「ウルトラマン」、翌67年の「ウルトラセブン」へと進み、NHKでは「サンダーバード」の放送によって、SFとプラモデルが成熟。1970年の大阪万博もその流れをさらに強くしたと、氷川氏は実感を込めながら語った。アニメでは「巨人の星」が放送された3年間(1968~71)を例に、トレスマシンの導入など格段にアニメの表現術が進歩したと指摘した。さらに「科学忍者隊ガッチャマン」(1972~74)、「海のトリトン」(1972)などを挙げ、アニメ・特撮の進化が、鑑賞者の成熟をも促したと話す。氷川氏は自身の体験を踏まえ「自分はその変化に惹かれていました」と、当時の感情を言葉にした。

 このような特撮、アニメ、SF、鑑賞者の認識が深化していく状況を踏まえても、氷川氏は「ヤマト」に対しては「自分の想定する進化のラインとは明らかに違った」と衝撃を受けたという。そして「何か違うものを見ているよう。それは何か、という疑問から私は深みに入った」という感慨は、研究家へと進む動機そのものだった。

 では、「ヤマト」の何が画期的なのか。氷川氏は著書にも記した研究成果の一端を挙げながら、トークを進めた。

 まず「侵攻を受け赤く荒廃した地球」「海底から半分姿を表す戦艦大和」「地下都市」のパネルを映した氷川氏。続けて「この3つで基本的なあらすじを説明できる」と語った。古代進や沖田十三ら主要キャラクターを使わずとも、物語の骨格を説明できる点。「鉄腕アトム」のようにタイトルにキャラクター名が入らない点。この2点は、これまでのキャラクター主義とは異なる、作品の世界観を物語の軸に置いていることを示す。キャラクター主義が基本的である海外アニメと大きく異なる、日本アニメの特徴にもつながっている。

 「ヤマト」を形成する絵、設定に練り込まれたリアリズムと意味が、この世界観さらに際立たせると説明。氷川氏は「ヤマト」の資料、設定画を映し出しながら解説した。

 一方で、1年間で14万8000光年先のイスカンダル星を目指す設定はロードムービーそのものであり、宇宙戦艦内の人間ドラマがグランド・ホテル形式(登場人物全員にスポットをあてて、それぞれの物語が展開される)であるストーリーの妙味に感心した。際立つ世界観をさらに引き立たせるキャラクターの存在も大きいようだ。

 このように画期的だった「ヤマト」は、テレビ放送終了後に人気が高まり、後の劇場版アニメでは「アニメブーム」と世間で取り上げられるまでに成長。ムック本や専門誌「アニメージュ」創刊などが重なり、それまでは「まんが=子供だまし」というイメージを含めて、アニメと特撮をまとめて「テレビまんが」と称していた時代が終わりを迎えたという。

 氷川氏は「ヤマト」創作に関し、西崎義展プロデューサー、漫画家の松本零士、チーフディレクター石黒昇をキーマンに挙げた。他に泉口薫、友永和秀らアニメーターの名前も挙げたが、最終的には個人ではなく「何か新しいことをやりたい、誰もやったことがないことをやりたい意識が、結晶化したってことじゃないか」と作品の核心を述べた。この結晶化を「合力(ごうりき)」と言い、その真意を「アニメづくりって、コックリさんだと思っている」と時代のタイミングや、説明できない力に導かれるものだと説明。非常に抽象的な答えであることは自覚しており、「これは言語化の域を超えています。でも論理的にテクニカルに言語化することが自分に残された役目かな」と続けた。

 ここまで「ヤマト」がいかに画期的か、を語ってきた氷川氏だが、今シンポジウムの結論としては「その謎はまだ解けていない。戦いは続く」とした。

 氷川氏、映画監督の樋口真嗣氏と庵野秀明氏が関わる「アニメ特撮アーカイブ機構」では、「ヤマト」の資料など多くのアニメ、特撮の資料収集、保存に取り組んでいる。

 氷川氏は研究への新たな志願者と協力者の新たな出現を熱望し「50年たってしまったんですけど、強力な援軍のおかげで資料が残っている。このまま、次の50年に向けてご理解ご支援をお願いします」と呼びかけ、イベントを締めくくった。氷川氏は自身の死後も「ヤマト」研究が引き継がれていくことを考えている。

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