こどもの日(5月5日)は全国で柏餅が食べられるが、あんこの種類には微妙な違いがある。おおよそ東日本では小豆あんと味噌あんの2種類が存在する一方で、西日本では小豆あんのみと認識されている。
日本あんこ協会はこのほど、全国の同協会員に対して実施した「第一回全国柏餅一斉調査」の調査結果を公開。柏餅は小豆あんだけか、小豆あんと味噌あんの両方か―。認識の境界線が明らかになった。
同調査では①居住地の都道府県、②居住地において柏餅は「小豆あんしか見たことがない」「小豆あんと味噌あんの両方を見かける」「味噌あんしか見たことがない」のどれが当てはまるかを調査し、550人から回答が得られた。
その結果「味噌あんしか見たことがない」との回答はなし。日本地図で示してみると、長野県と岐阜県あたりを境目に、おおよそ東側は「小豆あんと味噌あんの両方を見かける」、西側は「小豆あんしか見たことがない」となった。しかし、例外の府県もあり、福島県や新潟県は「小豆あんしか見たことがない」が過半数。一方、京都府や滋賀県は「小豆あんと味噌あんの両方を見かける」が過半数となった。
なお、同協会の公式サイトでは柏餅における味噌あんと小豆あんの誕生についても解説。柏餅が端午の節句に食べられるようになったのは江戸時代とされる。1718年(享保3年)に刊行された日本初の菓子製法書「古今名物御前菓子秘伝抄」によると、当時の柏餅のあんこは塩あんと記載。煮てつぶした小豆に塩を加えた、全く甘くないしょっぱいあんこだ。
当時の時代背景としては、砂糖の生産流通は非常に少なく、外国からの輸入もごくわずか。ちょうど国産砂糖の生産が始まった頃だ。砂糖が高級だった時代、柏餅には塩あんと並び、同じくしょっぱいあんことして味噌あんがあったようだ。なお、一般に塩あんから現代のような甘い小豆あんに変わっていくのは、国産砂糖の流通が進んだ江戸時代後期のことだという。