大河『光る君へ』藤原道長と倫子の結婚話 倫子の父・源雅信が喜ばなかった意外な理由 識者が語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(K.Nakano/)
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 NHK大河ドラマ「光る君へ」第8回目は「招かれざる者」。藤原道長(柄本佑)の父・兼家(段田安則)が、左大臣・源雅信(益岡徹)に対し、息子の道長を、雅信の娘・倫子(黒木華)に婿入りさせて欲しいと頼むシーンが描かれました。

 しかし、それに対し、雅信は「承知致しました」と即答しませんでした。それは一体、なぜなのか?描写の謎のヒントになるような逸話が平安時代後期の歴史物語『栄花物語』に記されています。ちなみに、源雅信は、宇多天皇の皇子・敦実親王と左大臣・藤原時平の娘の子であります。つまり、雅信は宇多天皇の孫だったのです。話を元に戻します。『栄花物語』には、雅信には正室がいて、その正室との間に、2人の姫君がいたとあります。そして、その2人を大切に育て上げ、「将来は天皇の后に」と考えていたようなのです。

 つまり、雅信は娘・倫子を天皇の后にしたいと構想していたので、道長と倫子を結婚させたくないと考えていたのでした。が、『栄花物語』には、もう1つ、雅信が道長と倫子を結婚させたくない理由が書かれているのです。同書の中で、雅信は道長のことを「嘴(くちばし)の黄色い男」と罵っています。筆者流にこの言葉を解釈すれば「将来、出世するかも分からない兼家の5男(道長)に娘をやれるか」といったところでしょうか。

 現代人から見れば、道長は藤原氏摂関政治の最盛期を築いた人物として知られていますが、当時は藤原兼家の5男で、左京大夫(従5位上に相当)に過ぎませんでした。ネタバレになるので詳しくは説明しませんが、様々な「幸運」が重ならなければ、道長があれほどの栄華を築くことはなかったとも推測されます。倫子は道長の2歳年上でした。例えば、永延元年(987)当時、道長は22歳、倫子は24歳だったのです。道長は自分(雅信)の娘(倫子)より年下であるし、道長には2人の兄(藤原道隆・道兼)もいて、出世は難しいと考えていたのかもしれません。

 雅信は倫子を天皇の后にと考えていたとの説もありますが、時の一条天皇は僅か8歳でした。倫子と結婚するには、まだ若すぎます。 ちなみに、雅信が娘を天皇に后にすることを構想していたという見解を疑問視する説もあります。また道長の将来性に関しても有望視する見解も存在します。

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