ヴィッセル神戸の「1・17」 元スタッフの思い、体育館で共同生活、倉敷で練習、やみくもに生きた原点

北村 泰介 北村 泰介
ヴィッセル神戸でユース世代の育成に務め、退団後も神戸でサッカー普及に尽力したネルソン松原さん(2014年撮影)
ヴィッセル神戸でユース世代の育成に務め、退団後も神戸でサッカー普及に尽力したネルソン松原さん(2014年撮影)

 阪神・淡路大震災の発生から29年。昨年、クラブ創設29年目にして悲願のJ1初制覇を果たしたヴィッセル神戸にとって「1・17」はチームが本格始動する船出の日だった。元スタッフがそれぞれの〝原点〟となった「あの日」を振り返った。

 1995年のヴィッセル発足から2009年まで主に育成担当を務め、その間、2度にわたってトップチームの監督を務めた加藤寛さん(72)は体育館での共同生活を余儀なくされた。

 「事務所でライセンス(日本サッカー協会公認S級)のレポートを書いて、(深夜)2時か3時頃、(神戸)摩耶山の麓(ふもと)にある家に帰って、寝付いた頃にドーンときた。それが、午前5時46分。南側のベランダから外を見ると神戸の街が火の海になっていた。『なんだ、これは』と思いながら、とにかく子どもたちを避難させなければいけなかったので、長男と次男にベンチコートを着させて、抱えながら外に出た」

 避難場所は県立神戸高校の体育館だった。

 「時間が経つにつれて体育館に避難物資が届いたりすると取り合いになるんですよ。『これはいかん』と思って、S級ライセンスで勉強したマネジメントをここで試した。まず目標を掲げ、それから運営のコンセプトを大きな模造紙に書いて貼り出して、みんなで何をすべきか話し合って決めた。体育館での生活は1月から8月まで半年あまりに及び、最後はみんなできれいに掃除をして体育館を出ました」

 神戸FCのコーチを73年年から務め、移管先のヴィッセルで始動した矢先の震災。できる範囲でやりくりした。

 「ユースから来られる子たちを神戸高校の避難所に呼んで、ボランティアをしながら練習しました。運動公園の土のグラウンドはガタガタで、ナイター設備も付いてない。荷台に照明機を積んだ車を借り、ライトで照らして練習した」

 トップチームは1月17日が最初の練習日だった。神戸市内の練習場所を失い、母体となった川崎製鉄サッカー部の拠点・岡山県倉敷市内に移動して練習。記者は2月に倉敷のグラウンドで選手を取材した。そこには川鉄でヘッドコーチを務め、ヴィッセルでは加藤さんとともにユース世代の育成を担当することになる日系ブラジル人のネルソン松原さんもいた。

 松原さんは当時43歳。家族とともに1月17日に神戸に移動する予定だった。足止めされた倉敷で約2カ月間、Jリーグ昇格という使命を背負い、JFLの開幕に挑むトップチームの練習を手伝った。神戸での仕事はユース世代の育成。社会人チームのヘッドコーチまで務めた松原さんにとって当初は失望感もあったというが、「どんな状況下でも、サッカーをやるしかない。それが、ぼくにとって『生きる』ということ」。そんな思いが14年に刊行された著書「生きるためのサッカー」(サウダージ・ブックス)に記されている。

 勝ち負けだけではない「生きるためのサッカー」に目覚めた。その後、ヴィッセルから離れても、松原さんは神戸から離れなかった。加藤さんとサッカースクールに携わるなど「生活や文化に密着したサッカー」を地元で広げ、18年に亡くなった。

 加藤さんは「ネルソンは昔の日本人。人なつっこくて優しいけど、サッカーに対してはすごく厳格なところもあって、ユースの選手でも取り組む姿勢が悪ければすごく怒っていた。育成を一緒にやって、ブラジルにも2回くらい行ったかな。彼といて楽しかったですよ。家族ぐるみでお付き合いをした」と亡き盟友を懐かしむ。

 震災前、地元では市民団体「神戸にプロサッカーチームをつくる市民の会」が93年12月に発足していた。同会の事務局長を務めた後、ヴィッセルでホームタウン事業や広報部門に携わった斎藤紀之さん(59)が当時を振り返る。

 「川鉄サッカー部を母体に、ダイエーの子会社『神戸オレンジサッカークラブ』が発足。市民の会はその目的を達成したとして発展的解消となり、私は94年11月にオレンジサッカークラブに雇用される形となりましたが、震災後は状況が急展開し、ダイエーなどが運営撤退。正直、この時点で『震災に直面した意味』を考える余裕もありませんでしたし、自分の中に比較するサッカークラブ運営キャリアがあったわけでもないので、やみくもに自己流で進んでいたような気がします。そんなドタバタの中でも私が進まないといけないと思っていた原動力は、クラブ職員へ送り出してくれた市民の会のメンバーの想いに報いることだったように思います」

 退職後も民間の会社に勤務し、現在も「ウェブサイトやSNS発信をスポーツやその他の現場でサポートする業務に活かしています」という。斎藤さんは「頂点を経験して一つの目標を達成した今、どこに次の到達目標を置くのか、ヴィッセル神戸サッカーのフィロソフィ―(哲学)を観客と一緒に紡いでいくことができるのか、これからの10年間をより注目していきたいと思います」と期待を込めた。

 連覇に向けて始動したヴィッセル。震災から30年目となる今季、ホームタウンで生きる(生きた)元スタッフたちの思いも背負っていく。

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