第95回アカデミー賞歌曲賞受賞となる『RRR』の効果もあり、日本ではインド映画が更に身近な存在となっている。しかし代表的な『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995年)を筆頭に日本で公開されるインド映画だけ見るとどうしても娯楽作のイメージが頭に浮かんでしまう。
けれど実際は今も「カースト制度」の思想が根付いている国でもあり、その問題について発信するドキュメンタリーが9月16日より全国順次公開となる『燃えあがる女性記者たち』だ。しかも本作は2021年サンダンス映画祭ワールドシネマ・ドキュメンタリー部門観客賞、審査員特別賞を受賞。第94回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ノミネートを含む、世界の映画祭で30を超える映画賞を受賞しているのだ。では一体、何故、ここまで評価されているのか紐解いていこうではないか。
まず本作を見る前に知って欲しいのは、映画の軸となる女性だけの新聞社「カバル・ラハリヤ」は、インド北部に位置する人口2億人のウッタル・プラデーシュ州に有るということだ。ここの女性新聞記者は皆、カースト最下層ダリット出身者で、地方紙の彼女たちは世界に問題を届けるべくスマートフォンで取材、配信することに切り替える。この様子をインドの映画監督リントゥ・トーマス&スシュミト・ゴーシュ夫妻が3年をかけて撮影したのが本作だ。
それで驚くのは、そこに映し出される異様な光景の数々。強姦された訴えに対応しない警察側には男性しかいないし、問題が起こっているところや政治的活動の場にも男性しか居ないのだ。この様子を例えるならば、オオカミの群れに飛び込む1匹の羊といったところ。それでも彼女たちが辞めないのは、横行するレイプや殺害、はびこる悪行についてカメラという武器を持ち、自分達を含む社会での差別を無くすために戦おうとしているからだった。
彼女たちが取材をする先には、10代前半で結婚をし教育を受けられない女性たちが当たり前に存在する。実際、記者になった彼女達も若くして結婚し子供を育てながら夫の反対を跳ね除け、母になってから学校に通い仕事を続ける者も居る。そんな彼女達が興味を持ち、取材する人達は、家にトイレが無い、娘が可哀想だと嘆く。その理由は、外で用を足すことは野生動物やレイプ犯罪の危険に晒される恐れがあるからだ。それをニュースとして配信し、しかも顔出しで伝える女性記者達の勇気に感服だ。ラスト、記者が殺害されることも多いと映画は伝えているがその数は2014年以降だけでも40人だそうだ。
映画を見終わって我に返る。私たちの周囲にもカーストは起こっていないか?誰かが優位になり、その権力を使って悪事を起こしていないか?物事の良し悪しを男性だけで決めていないか?そんな思いが自分の中に巡る本作は、他人事にならない問題を突きつける作品として、世界の映画賞で賞賛されたのだ。本作との出会いは、今一度、自分自身の身の振り方についても考えさせられる貴重な体験だった。