大河『家康』側室に選ばれた お葉とは何者か?不思議な縁、急死した同日に家康重臣の榊原康政も死去

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(freehand/stock.adobe.com)
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 NHK大河ドラマ「どうする家康」第10回「側室をどうする!」では、松平(徳川)家康の側室選びの様子が描かれていました。選ばれたのは、北香那さん演じる「お葉」という女性。無愛想ではあるが、気の利く女性として登場しました。では、このお葉とは一体、何者なのでしょうか?

 この、お葉というのは役名であり、実際には「西郡局」(にしのこおりのつぼね)と呼ばれる女性です。家康の最初の側室とされます。西郡局は、家康とも戦った上之郷城主・鵜殿一族(長忠)の娘と言われています(鵜殿長忠は養父であり、西郡局は、鵜殿長忠の家臣・加藤義広という説もあります)。

 西郡局がいつ生まれたか、母は誰かということは分かりません。西郡局がどのように、そしてなぜ家康の側室となったかは不明ですが、父・鵜殿長忠が家康に降ってから、半分人質のような形で、松平家(家康)のもとに送られ、いつしか、家康の寵愛を得るようになったのではないでしょうか。

 そして、西郡局は家康の子供を産みます。それが、督姫です。督姫 は、永禄8年(1565)の生まれですので、西郡局は前年には、家康の側室になっていたと推測されます。督姫は、後に(1583年)、小田原の北条氏直のもとに正室として嫁ぐことになります。そして、北条氏の滅亡後は、池田輝政に嫁ぐことになるのです。輝政は姫路藩初代藩主として、姫路城を大規模改築したことで有名です。

 さて、西郡局は、家康が幕府の開いて後の慶長11年(1606)、伏見城で亡くなります。病で長く苦しんでの死ではなく、急死だったようです。同日には、家康重臣の榊原康政が死去しています。池田家と榊原家も縁戚関係にありました。輝政の長男・池田利隆の妻は榊原康政の娘だったのです。

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