日高屋 81歳の神田会長「何をやっても務まらなかった」中卒で職を転々、今ではグループ438店舗

杉田 康人 杉田 康人
創業50年を振り返るハイデイ日高の神田正代表取締役会長
創業50年を振り返るハイデイ日高の神田正代表取締役会長

 「熱烈中華食堂日高屋(日高屋)」を展開するハイデイ日高(さいたま市)は31日、3月1日から日高屋全店で、創業50周年記念の期間限定メニュー「日高ちゃんぽん」(税込690円)を発売すると発表した。

 同社の神田正代表取締役会長(81)が、都内で行われた発表会に出席。1973年(昭和48)2月の創業からの50年を振り返った。当時の大宮市(現さいたま市)の繁華街・宮町に5坪の店「来来軒」を開店し創業。2002年6月、新宿東口に日高屋の1号店を出店し、グループ全体で438店舗を数えるまでに成長した。

 神田氏は「あっという間に過ぎちゃった。もうすぐ82歳になるが、この歳までラーメンに携わるとは夢にも思わなかった」とつぶやいた。中卒で職を転々とし「どこへ行っても、何をやっても務まらなかった。大宮でパチンコしていたら、友人からラーメン屋やんない?と言われ、浦和のラーメン屋の出前持ちになった。ラーメンの神様に怒られちゃいますけど、どうしてもラーメンがしたくてしたわけではない。あれがすし屋だったらすしの世界に入っていた」と苦笑した。

 ラーメン店や屋台、スナック経営にも乗り出したがすべて閉店。無職になり大宮の繁華街に飲みにいったところ、たまたま見つけた5坪の店がハイデイ日高創業の地となった。「家賃は1万円以下だった。人が多くてお客が入ってくれた。大宮駅前で、弁当を持って会社に行っていたサラリーマンが手ぶらになっていった。どっかで食事するんだから、世の中が変わる…この商売おもしろいよと言ってたら、その通りになっていった」と目を細めた。

 深夜に開いている店はまだまだ少なく、主要駅の前には屋台が乱立。最終電車後も、客が集まっていたと語る。「屋台がなくなったら客はどこにいくんだろう…屋台のお客を追っていこうとしたのが始まり。屋台が無くなっていって、屋台の代替でどこの駅前へ出しても成功した。時代背景があってこそ」と、急成長した秘けつを明かした。

 80歳を過ぎ、世の中を見る目が変わってきたと語る神田氏。これまでは私利私欲のために働いてきたが、社員の幸せや地元貢献、株を買ってよかったと思われる企業にしたいとの思いで前に進んでいるという。「社員は幸せになるために入っているんだから。成長したら分配。ベースアップや、インフレ手当も考えている」と強調。どこかの経営者にぜひ聞かせたい言葉だ。

 現代表取締役社長の青野敬成氏(48)は、予備校生時代のアルバイトを経て入社。神田氏は「会社が良い時よりも、悪い時にその人がどういう人なのか本性が出る。20年くらい苦楽をともにしている。やっぱり人柄」と評した。50年を「情」という漢字で振り返った立志伝中の人は「能力はないが、情熱だけは負けないように頑張ってきた。希望があれば何とかなる。本当の経営はこれから。まだまだ可能性がある。いい人生を日高屋で過ごさせていただいている」と、日高屋への愛情をにじませた。

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