『鎌倉殿』夫、三男に続き四男も亡くした実衣の悲痛 実朝暗殺後の激動「阿野時元の乱」とは

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(Paylessimages/stock.adobe.com)
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 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第46回「将軍になった女」では、北条義時の妹・実衣(阿波局)が、我が子・阿野時元を鎌倉殿にするとの野心を募らせるも失敗、監禁されるとの事態になります。

 1219年1月27日、鎌倉幕府3代将軍・源実朝暗殺。その衝撃は、遠く離れた都にも伝わりました。2月2日、加藤次景廉が都に入り、実朝の死を伝えたところ、洛中は騒然となったようです。軍兵が群れ集まるとの事態になったので、後鳥羽上皇が「禁制」を出されたところ、やっと落ち着きを取り戻しました。

 2月13日には、鎌倉から都に使者・二階堂行光が派遣されます。上皇の2人の皇子(雅成親王・頼仁親王)のうち、どちらかを「関東の将軍」とするため、下向させてほしいという北条政子の意向を朝廷に伝えるためです。

 その2日後、駿河国(静岡県)から鎌倉に驚くべき情報が入ってきます。阿野時元が、軍勢を率いて、駿河の深山に城郭を構えたというのです。しかも、時元は宣旨(天皇の命令を伝える文書)を賜り、東国を支配しようと企んでいるとのこと。

 ちなみに、時元というのは、源頼朝の異母弟・阿野全成の四男と言われています。母は、北条時政の娘・阿波局(ドラマでは実衣)でした。時元は、鎌倉の幕府に対し、叛旗を翻し、自らが東国を支配せんとする野望を露わにしたのです。実朝死去直後の将軍空位に乗じたのでしょう。2月19日には、鎌倉から駿河に向けて、軍勢が出動します。

 もちろん、時元を殺すためです。政子の命令により、北条義時は、金窪行親ら御家人を駿河に遣わしたのでした。駿河に到着した御家人らは、早速、阿野方に攻めかかります(2月22日)。

 阿野方は防戦一方で、瞬く間に敗れてしまうのです。2月23日午後6時頃には、阿野時元が自害したとの報が鎌倉に寄せられます。こうして「阿野時元の乱」は呆気なく収束したのでした。鎌倉時代後期の歴史書『吾妻鏡』は、突如、時元が挙兵(謀反)したかのように記しています。

 しかし、親王将軍の迎え入れに先立ち、将軍後継となりうる源氏の嫡流を鎌倉北条氏が消したと解釈できるのかもしれません。時元の父・全成は、2代将軍・源頼家により誅殺されました(1203年)。全成の三男・頼全もその余波で都で殺害されます。

 そして今また、時元も殺されたのです。彼ら兄弟の母である阿波局の心中は穏やかでなかったでしょう。全成と時元のお墓は、静岡県沼津市の大泉寺にあり、現在、沼津市指定史跡にもなっているのです。

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