アニメ化決定「女神のカフェテラス」ヒロイン・月島流星 〝哲学芸人〟が思想哲学的に考察 

マザー・テラサワ マザー・テラサワ
「女神のカフェテラス」単行本1巻の書影 ヒロインの鳳凰寺紅葉(右上)、小野白菊(左上)、幕澤桜花(中央)、鶴河秋水(左下)、月島流星(右下) (c)瀬尾公治/講談社
「女神のカフェテラス」単行本1巻の書影 ヒロインの鳳凰寺紅葉(右上)、小野白菊(左上)、幕澤桜花(中央)、鶴河秋水(左下)、月島流星(右下) (c)瀬尾公治/講談社

 現代社会において他者とのコミュニケーションや流行り廃りに敏感にならざるを得ないのは、それが大衆社会における処世術であるためです。月島流星はそのことを良く理解しており、故に「社交的」な振る舞いに人並み以上の執着を見せると考えられます。

 同時に、リースマンは「他人指向型」パーソナリティの負の側面にも言及しています。前述通り、大衆社会ではその規範の中身は不安定で、変動を続けます。メディアの喧伝する方向へ動く粒子へと変質することを通じ、人間は個としての独立した思考を剥奪され、生きる基準を「他者」へと委ねるのです。結果、「私は他者にとって心地よい存在になり得ているのか?」という不安に駆られていきます。大衆社会に生き続ける限り、その悩みから開放される事は無く、なおかつ地縁血縁が希薄な大衆社会では、そういう悩みを吐露出来る存在も見出し難いもの。群れながら悩みを抱える孤絶された存在達…リースマンはそうした「他人指向型」のパーソナリティに囚われた大衆を指し「孤独な群衆(The Lonely Crowd)」と呼んでいるのです。

 改めて月島流星について述べると、彼女が体現しているのもまた「他人指向型」パーソナリティであり、そしてそれに囚われるがゆえの悩みを抱えています。流星自身、子役タレントとして幼き頃から業界人の期待に応える環境に置かれ、社交性を至上の価値観とする規範意識を内面化する存在です。子役の仕事に没頭する事が両親の離婚に繋がったこと、周囲から「名前を聞かなくなった元子役」とレッテル張りされて来たこと等、プライベートで多くの悩みを抱えるにも関わらず、小野白菊が指摘するように流星は「自分の事を語らない」。それは「明るく社交的な自分」の像を提示することが他者への期待に応えることだと思うゆえ、「悩みを抱える自分の弱さ」を隠そうとする心象だと思われます。社交的であるほどに孤独となる・・・流星もまた「孤独な群衆」の中に生きる一人なのです。

 私事になりますが、月島流星の生き様を見ていると学生時代にゼミ、サークル活動、果ては企業のインターンシップなど全てに手を抜かず社交的に振る舞い、それを喜々として語る知人女性を思い出します。当時の私は思想研究に傾きつつあり就活も放棄、半ば世捨て人の覚悟を決めた状態でした。そのため「自分の心のこだわりを検証せず世間に尻尾なんか振っちゃって。滑稽ですなあ」と冷笑的に彼女を見つめていたものです。しかし、研究に行き詰まりひょんな流れで芸人になった今、私はライブの舞台で明るく振る舞い、ライブ後の打ち上げ、バイト先でも「とかく人との繋がりが大事な業界だから」と社交に徹しています。「お前も『孤独な群衆』じゃないか!」とツッコまれるとお手上げです。しかし同時に、無自覚な形で社交に没頭する事と社会の構造を悟ったうえであえて社交に徹するのでは天と地ほどの差があるとも思うんですね。強がりかもしれないですが、一応、私は物事に違和感があれば相手の立場や世間など気にかけず異議申し立てをする人間です。そのため、要らない摩擦を起こし面倒な人間だと糾弾されたことも多々ありますが…。

 以上を踏まえ、あえて形容すると、月島流星は「他人指向のスポットライトに踊らされる孤独なヒロイン」と言えましょう。しかし、隼や他のヒロイン4人との「ファミリア」での生活を通じ、流星も自己を語り己を晒してコミュニケーションを図る人物へと変質しつつあります。「孤独な群衆」に陥っていた流星のパーソナリティがどう変質していくのか、今後の展開を期待しています。

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