8月に衝撃的なニュースがあった。アメリカの美術品評会、第150回コロラド州品評会でAIイラストで1位を取ったのだ。
AIイラストはAIに簡単な指示をするだけで自動生成される。油絵、水彩画といった表現手法や高橋留美子風、ジブリ風などの指示をするだけ。今回、筆者もMidjourneyというAIイラスト生成アプリにイラストを描かせてみたが、英語で「青いオーバーオールと赤いシャツと赤い帽子を着けた白斑点きのこを持ったヒゲの男性」と指示するだけで、ポップアート風、中世の西洋画風などさまざまなマリオ風の肖像画を作ることができた。
おおまかな構図を決め、細部を調整する…プログラム上で徐々にイラストが仕上がる様子を見ていると、まるでAIに意志があるかのよう。
AIはウェブ上の画像データを組み合わせてイラストを描く。既存の物を参考に新しい作品を作るのは人間の創作活動と同じだし、人間よりはるかに高速。今後より精度が上がれば人間の画家やイラストレーターは太刀打ちできなくなる可能性がある。またグラフィックソフトを使えば人間が最終の仕上げや調整をすることもできるので、AIイラストをさも自分が一から描いたかのように発表することも可能だ。
「もしかしたらAIが描いたのでは無いか?」そんな疑念が出てしまうと人はアートを楽しめなくなってしまう気がする。アーティスト本人が描いた証明は出来ないだろうか。またそれ以外にもさまざまな問題が想定されるがいかに…。
兵庫県で広告デザインなどに携わる、ひめじ芸術文化創造会議代表の月ヶ瀬悠次郎氏と、大和大学で文化政策や創造都市論を研究する社会学部准教授の立花晃氏にお話を聞いた。
月ヶ瀬:人が描いた作品かAIが描いた作品かを判別するには、それに特化したAIプログラムを用いることになると思います。でもイタチごっこになるかもしれませんね。
立花 : 仮に本人の同一性を証明するようなライセンスを発行するとして、その機関をどう決めるかなどの問題もあります。ただ、人間が作ったという証明を欲する人は一定数いると思うので意義はあると思います。音楽の生ライブや、油絵、工芸作品などのジャンルはある程度そうした脅威から外れるかも知れません。しかし、現物の、かつある程度厚みや立体感、手作りの質感の感じられる作品であったとしても、3Dプリンタや、新しい技術が出てくると、その限りではないかも知れません。一方、過去の技術や形式の保護を求める人がいますが、保護するしないに関わらず残るものは残ります。所詮技術はツールでしかないので、脅威ばかりにとらわれず、人間にしかできないものを模索すべきだと思います。
月ヶ瀬:商業デザインの立場からは今までのような仕事がなくなるかも知れません。「A4片面、ラーメン屋のチラシ、○月○日に新装開店」などと指示すればそれなりのものができる時代はすぐそこまで来ています。
立花:たとえば筆で描くのかどうかというアプローチを選択していないだけで、指示をするのも芸術です。機械に描かせたら芸術なのかという議論はIT革命がさけばれた2000年頃や、それより遥か以前のメディアアートという概念が生まれた1800年代末に数多くなされています。印刷技術による複製が可能になった時点で宿命的に内包された議論です。
月ヶ瀬:技術の進歩によって手法が変わることは少なくありません。現代社会で物流に飛脚を使うことはありませんが、観光地の人力車のような物や、自分の足でフルマラソンを走るという体験をしたい人がなくなることはありません。
立花:近い将来現状AIの絵の生成技術は、マシンラーニング(機械的な学習)からディープラーニング(脳の仕組みを反映させた深層的な学習)になっていくでしょう。既にAIは曲を作ることもできます。しかしまだ長渕剛のライブを超える事はない。人間側がAIに感性を投影させてますが、ディープラーニングによって感性に訴えかける物を計算して作り始めた時がまた1つのターニングポイントかもしれませんね。
月ヶ瀬:AIは加速度的に進化しているので、人間が作ったかどうかひと目で判別することが難しい精巧な物が世に溢れるのは時間の問題でしょうね。いずれ「AIに描かせたように素晴らしい絵」という表現が生まれるかもしれません。
普段食べる料理のほとんどが機械化されたように、日ごろ目にするアートもそうなるのでしょう。そして人間の板前が目の前で調理してくれるものに高級感を感じるように、観客の目の前で実演するライブアートの価値が高まるかもしれませんね。
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お話を聞き、ライセンス発行よりもAI技術をどう取り入れていくかが大事だと分かった。漫画家がアシスタントを使うような利用方法もあり得る。テクノロジーの進歩で廃れていくものはあるかもしれないが、歴史を振り返ればそういった現象は絶えず起こっているだから。