加害者として描きたくなかった 映画『ほどけそうな、息』が描く児童虐待の深層

伊藤 さとり 伊藤 さとり
「ほどけそうな、息」のワンシーン=(C)2022
「ほどけそうな、息」製作委員会
「ほどけそうな、息」のワンシーン=(C)2022 「ほどけそうな、息」製作委員会

 「加害者ではなく、誰にも頼ることができない人として描きたかった」

 小澤雅人監督はこの想いを胸に、作品を作り上げたそうです。

 短編映画『ほどけそうな、息』の舞台は、児童相談所。まだ入社2年目の児童福祉司カスミが、虐待の恐れがあると判断した親から子どもを引き離すことに慣れず、担当することになった親からも「結婚もしていない、子どもも産んでいないあなたに、一体何がわかるの!?」と拒絶されながらも問題に逃げずに寄り添っていく作品です。

 主演の小野花梨に、今まで取材した児童相談員の方からの証言を書いた40ページに渡る取材ノートを渡したという小澤雅人監督。そもそも子どもの虐待をテーマにした『風切羽 かざきりば』や、性暴力被害をテーマにした『月光』を世に送り出してきた中で、それらの事件に関わる児童相談所に対する社会からの風当たりの強さに疑問を抱いていたとのこと。

 映画では、児童福祉司が連携してまだ小さな乳児を母親から引き離す一時保護の瞬間が描かれるなど、事例から発案されたシーンがありつつも、虐待するシーンは一切映し出されません。そこはあえて児童福祉司の視点から見えているものとして想像すれば納得の構成であり、やがて対峙することとなる問題行動を起こす母親の呟きから、この親ももしかしたら被害者かもしれない、と気付かされます。実際、事件の裏側を調べるとネグレクトや肉体的虐待を子どもにしてしまった加害者である親達は、自分たちも過去に被害者だったり、貧困に喘いでいたりすることが多いそうです。

 では何故、被害者が加害者になってしまうのでしょうか?これは根深い問題であり、生育環境も含む心的要因、社会生活から受ける外的要因など様々だと言われています。そう考えると社会問題である児童虐待に対して私たちがやれることはあるのでしょうか?それはとても難しいことでありつつ、身近に起こりうる事件だと考えると、人様の家の事として目を背けてはいけないと意識することからがスタートな気がします。更に一方的な情報だけで他者をジャッジし排除しないこと、「誰にも頼ることができない人」に気付くことが、次の一歩なのかもしれません。

 短編映画『ほどけそうな、息』はポレポレ東中野で公開中。全国で順次ロードショーとなります。

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