ダイアナ妃が生前、偽装事故で自分が死ぬことを恐れていたという。1997年8月にパリでの交通事故で36歳の若さで死亡したダイアナ妃。顧問弁護士だったヴィクター・ミシュコンが記した1995年10月付のメモによると、すでにその死を予期していたようだ。
ミシュコンはダイアナ妃の死後、ロンドン警視庁の幹部らに妃が語った内容を文字に起こしていた。その文書はその後警察が保管、交通事故が起きたフランス側には数年後に手渡されていたという。
メール・オン・サンデー紙によると、息子のウィリアム王子やヘンリー王子、ダイアナ妃の姉弟らはその文書の存在を長い間知らなかったとされている。ちなみにパリでの事故では妃と当時の恋人ドディ・アルファイド、運転手のアンリ・ポールら全員が死亡した。
ドディの父親モハメド・アル・ファイドの弁護士マイケル・マンズフィールドは、この文書についてチャンネル4の新ドキュメンタリーシリーズ『インヴェスティゲイティング・ダイアナ:デス・イン・パリ』の中で、「この文書はある人の予感であり、重要なものです。あなたがこの件について捜査している警察官なら、フランスの方へ渡すことを望むでしょう。彼らはそれをしなかった。安全な場所に保管し、公開しなかった」
モハメド・アル・ファイドは以前、自身の息子と妃の死にイギリスの諜報員が関わっていると主張していたが、検死官は妃とドディは無謀なスピードと運転手の飲酒が原因の事故で死亡したと判定。ウィリアム王子とヘンリー王子もその判断を死因審問の評決を支持していた。