ピン芸人の「ジジ・ぶぅ」は元ホームレスだった。残飯争奪戦のライバルだったカラスを食べたり、ホームレス仲間がアルコールに溺れて命を落とす様を目の当たりにしたこともあったが、そうした日々から脱し、芸人としての道を歩いている。出演するお笑いライブの主宰者でもあるコラムニスト・なべやかんが、「ジジ・ぶぅという男の人生」の後編をお届けする。
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現在、「ワハハ本舗」所属のジジ・ぶぅさんだが、かつてはホームレスだった。その世界から足を洗い、段ボールの買取などの仕事を経て、喫茶店でアルバイトを始めると、そこに「SET(スーパー・エキセントリック・シアター)」の八木橋修さんが働いていて、SETに誘われ劇団員になる。
「SET時代は、岸谷五朗の教育をしてました。芝居を教えていたのですよ。あと、三宅(裕司)さんのヤンパラ(ニッポン放送のラジオ番組「ヤングパラダイス」)のハガキ職人もやってましたね」と、ドヤ顔で語るジジ・ぶぅさん。若手を集め、作・演出の舞台もやっていたそうだ。
そんな事もあり、若手と共にSETを飛び出し、「ページワン」という劇団を立ち上げる。が、しかし、資金繰りが難しく、お金に苦しめられ劇団は終了。しばらくフリー状態が続き、この時に「フロントページ」というコンビで漫才を始める。あちこちネタ見せに行くが反応がイマイチで、唯一面白がってくれたのが「ワハハ本舗」(主宰)の喰始(たべ・はじめ)さんだった。ワハハ所属になった当時は体重も80キロ以上あり、太っていたので、同事務所の(ウクレレ漫談家)ウクレレえいじ氏が「高木ブーさんより太っていて老けている」という理由で「ジジ・ぶぅ」と名付けた。
1999年頃、猫ひろしが大ブレイクすると、喰さんに「猫ちゃんの付き人になったら面白いよ」と言われ、猫ひろしの付き人生活が始まる。
「喰さんはネタとして〝付き人〟にしたのですが、猫ちゃんが本気になっちゃって、マジの付き人にされたんですよ」
猫ひろしの話になるとジジ・ぶぅさんの鼻息が荒くなって来た。
「朝、家まで迎えに行かされたりしましたね。それは別によいのですが、猫ちゃんが包茎手術をした後、包帯の取り換えとかやらされましたよ!」と恨み節が続く。結局、猫ひろしの付き人を3年続けた事により多くの人に周知されるようになった。
現在では映画やドラマに引っ張りだこで、ジャパニーズホラー映画には頻繁に出演している。そんな事もあり、ホラー映画を観ていると一番怖いシーンでジジ・ぶぅさんが農民の幽霊として登場してきたりするので全てを台無しになされた気分になる。仲間の芸人達は「チケット代を返せ!」と怒っている。
ジジ・ぶぅさんは現在65歳。バイトと年金で何とか普通に生活ができている。そんなジジ・ぶぅさんに、この先の夢を尋ねてみると、「この世界に入った時の芸名が黒部駄夢だったので、二代目黒部駄夢、いや、今的に言えばシン・黒部駄夢を募集して、付き人に付けたいです」と、ちっぽけな夢を語った。
ジジ・ぶぅさんのインタビューを終えた後、猫ひろしに話を聞くと衝撃のコメントが返って来た!
「あの人のいう事は半分以上嘘ですよ。死体洗いのバイトをしていたとか白鳥を食ったとか犬に育てられたとか言ってますから」
インタビュー時間は何だったのか?ジジ・ぶぅ、時間を返せ!
…と思ったが、「カラスとモグラ(を食べたこと)は本当です」と猫。恐るべし、ジジ・ぶぅ!