今年2月17日に亡くなった漫談家・松鶴家千とせさん(享年84)が毎月1回ペースで主催した浅草・木馬亭の公演「うたとお笑い」が3月25日の第80回を最後に終了する。師と慕う出演者の思いと共に、千とせさんが、よろず~ニュースの取材に対して語った浅草出身スターとの秘話を振り返った。
1975年に発売し、約160万枚を売り上げた大ヒット曲「わかんねェだろうナ(夕やけこやけ)」で時代のちょう児となった千とせさん。その後も、浅草で芸を磨く一方、後進の歌手への曲提供、プロデュースを続けた。
ユニット「千とせ&ひとみん」として「CH列車で行こう!/キャンユーアンダースタンド?」をデュエットした歌手・恵中瞳は「本当にお元気だったんです。1月16日に木馬亭の舞台で歌わせていただいた時も、お声がすごく出ていました。演歌とムード歌謡の新曲が師匠のプロデュースで2曲用意されていて、レコーディング前だったんです。検査入院ということでしたので、必ず戻ってくる、絶対に回復すると信じていました」と明かした。
急逝後の2月公演でトリを務めた歌手・美月はるかは「師匠には『浅草・木馬亭からスターになれるからね、頑張るんだよ』と励ましていただきました」と涙をこらえて歌い上げ、「千とせ師匠、見ててくださいね」と呼びかけた。終演後、会場では出演者と観客が合掌し、冥福を祈った。恵中は「新曲の2曲、そして、デュエット曲も可能でしたら師匠のお声を流していただいて、それに私が合わせて大切に歌わせていただければ」と思いを新たにした。
木馬亭の近くには老舗の演芸場がある。伝説のストリップ劇場「フランス座」で、現在の名称は「東洋館 浅草フランス座演芸場」。踊りの幕あいコントで数多くの芸人が腕を磨き、萩本欽一ら芸能界で大成したコメディアンを輩出したが、千とせさんは同劇場OBの渥美清さん、ビートたけしとのエピソードを楽屋で語った。
1976年、渥美さんは主演作の松竹映画「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」に千とせさんの起用を考えていたという。だが、千とせさんは同年の夏公開で激突したライバルシリーズ、菅原文太さん主演の東映映画「トラック野郎 望郷一番星」に出演した。
「渥美さんには『なにやってんだよ』って言われました。『わかんねェだろうナ』のネタに出てくる『夕焼け小焼け』というフレーズから、僕の出演を着想されたようですが、出られなくて申し訳なかったです」。同作は兵庫県たつの市を舞台に、太地喜和子さん演じる地元の芸者「ぼたん」と寅さんの交流を描き、シリーズ屈指の傑作と評される。悔いもあったが、「トラック野郎への出演はうれしかった」とも。冒頭、ピラニア軍団として売り出し中だった川谷拓三さんと室田日出男さんが演じる警察官を相手に「俺が昔、中学生だった頃、おまわりは小学生だった。警視総監は上級職で、総理大臣は汚職だった」とタンカを切るシーンには当時の勢いが刻み込まれている。
たけしとの縁も語った。
「(上方漫才の大御所)中田ダイマル・ラケット師匠らと名古屋・大須演芸場の楽屋でマージャンをしていたら、そこに2人の若手芸人が座っていて、僕に『弟子にしてください』と。フランス座では深見千三郎師匠の元にいるが、テレビに出たいからと。後のビートたけしです。もう1人の相方は後のビートきよし。テレビに出る漫才師としてやりたいという思いがあって、悪気はないんですよ。さっそく、親しかった山城新伍さんに頼んで彼が司会をしていた東京12チャンネル(現・テレビ東京)の『独占!男の時間』という土曜深夜の番組に2人を出してもらった後、僕の師匠である松鶴家千代若・千代菊に紹介したら、『この2人は俺の弟子だ』と。千代若師匠に15歳の時から食べさせてもらっている僕としては文句が言えなかった」
正式には師匠でなく、兄弟子の立場だった。それでも、「松鶴家二郎・次郎」というコンビ名を替えたいと、2人が相談してくる間柄だったという。心の中では〝師匠〟を自認した。
「たけしが『千とせ師匠みたいにテンポが早くてビートのきいたしゃべりがしたい』と言うから、『ザ・ビートはどうだ』『ザ…が付くのは嫌です』『じゃ、2人だからツービートは』『いいですね』みたいな話をした。後年、たけしは売れて、僕の家にカニを送ってくれたことがあった。女房がびっくりしてね。大きい箱にカニが入ってるんだもの(笑)」
楽屋で思い出を語り尽くした千とせさん。生前最後の舞台となった1月16日の公演後、記者の求めに応じて出演者と集合写真を撮った。結果的に、この1枚が師匠の「卒業写真」となった。