松鶴家千とせさん死去 最後の舞台を取材 正座で対応の腰低さ、4年ぶりライフワークを前に逝く

北村 泰介 北村 泰介
最後の舞台に立った松鶴尾千とせさん、Vサインで健在ぶりをアピールしていた(今年1月16日撮影)
最後の舞台に立った松鶴尾千とせさん、Vサインで健在ぶりをアピールしていた(今年1月16日撮影)

 「わかるかなぁ~!わかんねぇだろうなぁ~!」のフレーズで一世風靡(ふうび)した漫談家の松鶴家千とせさん(享年84)が17日に死去した。近年は、演歌歌手らに作詞、作曲した曲を提供し、プロデュースするといった裏方の仕事もこなしており、月1回ペースで「うたとお笑い」と題した公演を主催していた。今年1月16日、浅草・木馬亭で開催された同公演で千とせさんを取材した矢先の訃報。自身の新曲CDもリリースし、「コロナ禍で私はよみがえった」と元気な姿を見せていたが、結果的に最後の舞台となってしまった。

 腰の低い人だった。楽屋では記者の質問に対し、正座して丁寧に対応された。

 生まれ育った満州での体験、引き揚げ後に過ごした福島県での厳しい生活、上京後の駆け出し時代、1975年に発売して160万枚の大ヒット曲となった「わかんねェだろうナ(夕やけこやけ)」が誕生した舞台裏、自身に弟子入り志願してきた若い浅草芸人(後のビートたけし)とのエピソード、近況や今後のプラン、現在、プロデュースしている歌手の紹介…。そして、自身の出番が近づくとトレードマークのアフロヘア姿でさっそうとステージに飛び出した。

 舞台では漫談も健在だった。「こないだ、病院に行ったら、お医者さんに『まだ生きてたのか!』と言われましてね。診療して、帰りがけに受付の方を振り返ったら、女の子が『千とせさん~!』って手を振ってくれるから、僕も手を振りかえしたら、『まだ、お金払ってないですよ!』って」と笑いを誘った。そして、自身の持ち歌である演歌を数曲熱唱後、歌手・恵中瞳とのユニット「千とせ&ひとみん」の新曲「CH列車で行こう!/キャンユーアンダースタンド?」を振り付きで披露。千とせ流のラップ(語り)は大ヒット曲への原点回帰だった。

 終演後も話は尽きず、劇場向いの飲食店でコーヒーを飲みながら語り続けた。年が明けて84歳になったが、仕事への情熱はおう盛。SNSやYouTubeなども活用し、今も衰えない現役感を漂わせていた。「アフロヘアとサングラスを外した素顔が宇崎竜童さんに似ていますね」と記者が指摘すると、千とせさんは「鈴木雅之さんにも似てるって言われるんですよ」と、はにかんだ。シャイな人柄を感じた。そんなやりとりが最後になってしまった。

 2月に入って記事掲載後、入院したことをツイッターで知った。担当マネジャーに問い合わせると、「1月末に風邪をひき、そのまま調子が悪くなり、心筋梗塞になりましたが順調に回復しております」と返答があった。それが9日のこと。少しほっとしていると、17日の早朝5時、マネジャーから今月27日に予定された木馬亭の公演は出演不可になったが、公演は開催するとした上で、「心筋梗塞のバイパス手術をするかどうかの検査等で入院が長引いています。バイパス手術しなければ投薬治療で無事に退院します」との一報があり、一転、同日午後の訃報となった。死去は、退院の可能性も示唆した早朝の経過報告から約5時間後。容体が急変して…ということだったのかもしれない。

 心残りは、4年ぶりに公演形式で開催予定だった「全国さつまいもの会」(4月15日、東京・竹ノ塚)に立ち会えなかったこと。72年に福島県で初開催して以来、今年でちょうど50年となるチャリティーイベント。千とせさんのライフワークだった。

 千とせさんは「満州から日本に引き揚げて、福島県の原町(現南相馬市)で暮らしたんですが、米の配給がなくて、さつまいもばかり食べてました。それが、大きくてまずいんです。そのまずさは食べた人間でなければ分からない。それを忘れないように『さつまいもの会』と名付けた。みなさんに募金していただいて、車いすや入浴車をお贈りしてきました。これは、今後もずっとやっていきたいと思っております」と語っていた。ファンキーなVサインの「イェ~イ」の背景には、そんな思いも隠されていた。

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