新型コロナウイルス感染で一時は危険な状態に陥りながらも、奇跡的に生還したリングアナウンサーの田中ケロ氏(63)が4日、都内でドージョーチャクリキ主催の「田中ケロ退院記念トークライブ田中ケロ×木原文人『蘇るプロレス黄金時代』」に出演。新日本プロレス50周年の旗揚げ記念日大会(1日・日本武道館)で本格的に活動を再開した田中氏は、壮絶な闘病体験を告白。猪木氏のリングコールを復帰後の目標に掲げた。
コロナとの〝時間無制限一本勝負〟に「勝利しました」と宣言した田中氏。約半年間の闘病は、何度もカウント3直前まで追い込まれた。2021年7月末にコロナ陽性が発覚。自宅療養していたが「意識を失っていた。気がついたら病院でした。9月頭に意識が戻った。夏がなかったし、僕にとって五輪は終わっていないんです。コロナって怖いですね」と振り返った。
同年8月7日、自宅で意識不明の状態で倒れているところを、保健所からの連絡でかけつけた次女に発見された。集中治療室(ICU)に入ったが、血圧が下がり一時は重篤な状態に。コロナ禍でICUの使用は2週間に限られ、医師が延命措置の有無を家族に確認したという。のどにチューブを通すことも迫られたが、次女が「声の仕事をしているのでやめて欲しい」と拒否。命の次に大事な美声も、家族の賢明な判断によって守られた。
2月25日にリハビリ専門病院を退院。本格復帰後初めての仕事は、古巣マットでのリングアナだった。新日本プロレスの旗揚げセレモニーで長州力、前田日明、藤波辰爾ら19人のレジェンドたちを次々とコール。「2月に入ってからオファーをもらい『やります』と即答した。まさか全員コールするとは思っていなかった」と苦笑する。
復帰第1戦となるコールに向け、療法士の下で発声や腹式呼吸、肺を広げるリハビリを行った。のどの筋力が戻っていないという田中氏は「とにかくかまないこと、詰まらないこと、ちゃんとコールできることを心がけたが、100%ではない。ごまかしながらこなした」と厳しい採点だが、名調子で記念のリングを盛り上げた。
難病の全身性トランスサイレチンアミロイドーシスと闘病する新日本プロレス創始者・アントニオ猪木氏(79)の旗揚げ記念日大会来場はかなわなかったが「猪木会長をリングに呼び込んで、超満員の会場のリングのど真ん中に立ってもらってコールしたい。なんとか新日本プロレスが50周年をうたっている間に、コールしたい」と復帰後の目標を掲げる。左手にまだマヒが残るという田中氏。猪木コール実現へ、リハビリに闘魂を燃やす。