「私たちはAV女優として、裸を見せてきたけれど、『抜くため』のユーザーに向けてでした。そうではないファンの人もいると思うんですけど、AV女優としてスタートした人の多くは、裸になってきたという自分の活動を、次のステップに違う形でつなげていきたいと、切実に思っている人が多いんです。私自身も、脱いじゃったからこそ、プラスに変えるにはどうしたらいいんだろうってずっと考えてました。それで10年間葛藤してましたね」
Netflixから全世界に発信されたドラマ『全裸監督』や多数の映画出演、恵比寿マスカッツでの活動など幅広く活躍してきた川上なな実(旧芸名「川上奈々美」)さんが、それまで並行して活動してきたアダルトビデオやストリップから引退し、今年3月から女優業に専念する。その前に「第2のステージ応援プロジェクト」として今月、写真展の開催そして写真集、自伝的小説の発売をほぼ同時期に行った。
アダルトビデオ時代を振り返った自伝小説『決めたのは全部、私だった』はAV批判をするための本ではないけれど、やっぱり読むと、生易しい事じゃなかったんだなというのはちゃんと伝わる。
「メリット、デメリットがしっかりある。性病だったりとか、あと今の世の中だったら体裁と照らし合わせるとやっぱり生きづらい。明確にリスクを実感しながら、みんな戦ってるんですよね。すごい職業だと思います。知れてよかった」
渋谷スクランブル交差点でスカウトされ、芸能界への道を歩もうと意気揚々とついていった川上さんを待っていたのは、AVの世界。騙されたという思いもあったし、たくさん傷つきもしたことが小説にも書かれている。その中で、AV女優となった彼女を最初に責めたのが、幼い時からの友だちだった。
◆常に「正解」を追い求めてきた
「福井で育ったんですけど、幼馴染の女の子との思いがまだ解消されてないから小説にしたんです。いまだに夢に見るというか」
その子とは単純に親友ではなく、お互いマウントを取ろうとしたり、片方がうまくいってると露骨に沈んだ顔になったり、絶交を言い渡されたりする。でも会ったら自分のことを言わずにいられない。そんな、川上さん自身が整理できない感情が自伝小説に書かれている。
「だからその子との記憶を全部……悔しい思いだったり悲しい思いだったり情けない思い……愛憎半ばの感情とかも包み隠さず書きました」
自分にとって重要な存在である彼女と相照らし合わせた自分を確認してきた。
「ずっと小学校の頃は、その子から急に『絶交』って言われて、自分の何が原因だったんだろうって、部屋に戻ってひたすら考えてた記憶があるんです。そこから私の指向は、つねに原因を探る脳になってて……きっかけはなにかしらあったんだと思うんですけど、考えても、考えてもわからないので『もういいや、一匹狼でいよう』って開き直ろうとしたら、彼女から急に呼び出されて『なんかごめん』って言われて仲直りするっていうのを繰り返してたんです」
考えに考えに抜いて、それでも自分は自分で居るしかないと確認する。
「そういう指向が、小学校の時から出来てて、だからいまだに、それは続いちゃってますね。無意識に。『考えすぎだよ』って言われるぐらい。でもこれが私だし、やめられない。それで生まれるものがあるのは分かってるし、それで評価が返ってくると思っちゃってるところもあって。でも最近は、何も考えず、身一つで飛び込んで、楽しくて、それで表現できたという場合もあって。何が正解かは、ホントに言えないですね」
小説というものを書くためには「なんで自分はこうなったのか」という、自分のある意味問題点や、弱さまでも見つめて、それを読者に対してわかりやすく提示していくことが必要であると思われる。その思考訓練を川上さんは幼い頃からしていたのだ。
「幼馴染は『さゆみ』っていうんですけど、ホントにさゆみちゃんにありがとうなのかもしれないですね。私には2つの感情が拮抗してますね、常に。出来事を俯瞰で見てる部分もあるし、目の前に居て心を動かしてる自分も居て」
だから初めての小説でも読み応えがあるのかもしれない。担当編集者からの書き直し要請もまったくなかったという。
「大変でしたよ。苦しかった。小説が一番。苦しかったけど、私が気付いたことを……おこがましいけど、恐縮だけれど……変わりたいと思ってる人にも気づいてほしいって思いを持ちながら書きました。綺麗事だって思う人もいるかもしれないけれど、1人でも多くの人を救う、心を動かすことによって、自分が救われるというか。最終的には自分のためでもあるんですけど」
◆綺麗事ではない男たちの世界
「どこまでフィクション、ノンフィクションにするかは、最後の最後まで悩んでました。でもやっぱりいまの自分を書かないと、ダメだなと思ったんですよね。不安でしたよ。この小説出すの。でも編集の岩崎さんが私のサイン会にまで来て『小説書きませんか』って言ってくれたのも、なにか意味があるんだろうし」
小説『決めたのは全部、私だった』には、AVの世界を通して知り合った男たちのことも赤裸々に書かれている。特に、最初のマネージャーで、小説では「ヤス」という名前で書かれている人物の、男としてヤクザなあり方に憧れる不器用な生き方は、まさに綺麗事ではない世界に生きる人間のリアリティに満ちている。
「ヤスっていう人は本当に居ました。マネージャーで。だからモデルは一人ですね。亡くなっちゃったんです。ただ、ヤスの死に際だけモデルは複数居ます。ヤスが末期がんで亡くなったっていうのは事実ですけど、あと自殺しちゃった人や、大事な人が亡くなったっていう経験をしたので、『死』は書きたいなあって思っていました。死んでいった人たちへの思いも込めました」
所属事務所のことも赤裸々に書かれてある。スカウトの甘言と現実との違いや、裏社会とのつながり、徐々に支払われなくなってくるギャラ……。騙された彼女の、つらい気持ちも記されている一方、そこで出会った男たちの人間群像が魅力的に書かれている。
「書いたのは最初に入った事務所でのお話がほとんどで、その後私はマインズっていう所に所属したんです。もう消滅してる最初の事務所の、私を騙してた方の人間も、すごく葛藤してたっていうのは伝えたかったというか。で私自身も、なにやってるかわかんないちょっとコワモテな人たちとかかわった時、その人も人間だという瞬間を見たので、なんか、小説を書く時は『救いたいな』と思ってしまったというか。その時の事務所の会長さんだった人にも『小説書きます』って断りを入れたら『川上が見てきたものをすべて書いていいよ』と。それによって自分がなんか救われるような感覚があったんです。これがあったから、次のステージに行けたって」
◆そのために選ばれた人
書いた後、読み返したのは2度だったという。
「1回目は『おお、よく書いたなあ』と思ったんですけど、2回目見た時に『なんだこの綺麗事は』って思いました(笑)」
だがそれでも書き直さなかった。
「読んだ人が『ああ、なんかいいんじゃない?』っていう感想に収まるより『なんじゃこれ。キモチワルイ綺麗事。ぺっ』ってされる一方で『共感できる!』って言われたら最高だし、本当にイチかバチかをやりました。いつも白か黒かをハッキリさせちゃう性格なんです」
締めくくり方には悩んだ。
「すごいハッピーエンドで、ファンタジーのように終わらせようと思ったんですよ、はじめは。でも尻つぼみって思われてもいいから、なんでもいいから今の現状を書いて終わろうと思ったんです」
だがそこで壁にぶつかった。
「今の自分の気持ちを文章化できなかったんですよ。だから一人、女性のおりえさん(仲の良いライターさん)に入ってもらって。リモートして、今の自分の現状を全部言葉で伝えて、それを文字に起こしてもらいました。最後だけ。それを読んだ時に、感動したんですよね(笑)。『小説になってる!』って思って」
本作は川上さんの人としての力強さも感じ取れる。ストリップの舞台で披露する川上さんの歌は、度胸を感じさせる腰の据わったボーカルで聴き手を持っていってしまうような荒々しさがあった。それは筆者が川上さんに対して潜在的に感じているものに通じている気がする。
「私のたぶんロックなところは、お兄ちゃんに教えてもらったり。メタルを聴いたりとか、ヘッドバンキングしたりとか、そういう資質もあるんだと思います。あとやっぱりヤスが好きだったから、ヤスが目の前にいたから、ヤスの真似をしてましたね。ヤスと出会ったことで『あの頃のロックな私を出せばいいのね』ってなって(笑)。流されやすいし、目の前にいる人のしゃべり口調を真似ちゃったりするので」
自分には特別な何かがあるわけじゃない……という思いから、AV女優としても努力を重ね、常に気を張って、背筋もちゃんと伸ばし、ファンを励まそうとしてきたと小説にも書かれてあるが、彼女の魅力には、もともと、男に媚びる色気ではなく、底から湧き上がるパワーを感じさせ、生きる姿勢そのものを見せていく、逃げ場のない姿勢そのものであった気がする。
世の中には<人の心を動かし、励ますために選ばれた人間>がいる。川上さんもそうだと思う。
「そう思いますか?でもホントにそれが私の生きがいだなって気づいたんですよね。そうしないと生きる意味はないなと思えるぐらいで」
※小説「決めたのは全部、私だった」(川上なな実、工パブリック)、川上なな実写真集「すべて光」(撮影:熊谷直子、工パブリック)が発売中。浅草ロック座引退公演「ファイナルストリップツアー」は2月1日から同28日まで。ドキュメンタリー映画「裸を脱いだ私」が2023年に公開予定。