「家、ついて~」出演女性歌手の今、翌年出産で子育てと音楽活動を両立 研ナオコの金言も響く

北村 泰介 北村 泰介
自作の曲数について「新陳代謝で自然と消えていく曲もあり、『100曲』って言っている気がします」という天元ふみ
自作の曲数について「新陳代謝で自然と消えていく曲もあり、『100曲』って言っている気がします」という天元ふみ

 終電を逃した人をタクシーで自宅に送ってインタビューするテレビ東京系バラエティー番組「家、ついて行ってイイですか?」のレギュラー放送(第1期)は2014年1月6日に始まった。ちょうど8年になり、その開、数多くの人生が紹介されたが、その中にシンガー・ソングライター「天元(あまもと)ふみ」という現在35歳の女性がいる。17年に初出演し、昨年も再び登場。その4年の間に出産を経験するなど大きな変化があった。番組出演によって表現活動や人生観がどう変わったかを本人に聞いた。(文中敬称略)

 天元の初出演は17年5月放送の「家、ついて行ってイイですか?(明け方)」。 当時の活動名「雨本ふみ」で登場した。ライブハウスに出演後、新橋駅で終電を逃した天元は番組スタッフに声をかけられ、タクシーで都内の家に帰った。メーターは1万2900円。男性ファン(70代の元大学教授)宅の2階に無料で間借りしている当時の境遇や自身の経歴などを語り、部屋でギターを弾いて熱唱した。

 「あの時、私はただの酔っぱらいでした。途中から何をしゃべっているのかよく分からなくなりましたが、私の話や歌をスタッフさんが聞いてくれるのでどんどん楽しくなっていったのは事実です。夜ふけまでずっとハイテンションでした」。一夜明け、「私は何をしゃべったのだろう?今いる希少なファンの方々に失望されやしないかしら」と心配になったものの、それは杞憂だった。SNSでは好意的に受け止められた。

 「名古屋や北海道など、今までライブをやったことのない街に住む方に興味を持っていただいたことが1番大きな驚きでした。宝塚のお祭りで歌わせていただいたり、岩手の酒蔵でのライブを企画してくださる方と会ったり、大阪のライブハウスで活動されている方に呼んでもらったり…。たくさんのご縁に恵まれました。また、『自分らしく生きる姿に感動しました』という声が多く、うれしい反面、やはりみんな我慢しながら、自分を押し殺しながら生きているんだな…と思ったものです」

 鹿児島県で生まれ育ち、早稲田大学第一文学部への進学で上京。「中学ぐらいから真似事みたいに曲作りはやっていた」というが、卒業後、就職した学習塾を辞めてから音楽活動を本格的に始めた。レパートリーは約100曲。番組では「鉄砲伝来」「ガラパゴス」「百も承知のブルース」といったタイトルの自作曲を披露した。テロップに歌詞を入れ、歌をたっぷり流してくれた番組側に感謝した。

 4年後の昨年8月、「家ついて行ってイイですか?その後が気になるsp」にリモート出演。この間、結婚し、18年に長女が生まれ、活動名を「天元ふみ」に変えていた。現在、自身のツイッターには3歳の「あーちゃん」と共に母娘の日常を投稿している。

 「ずっと子どもは欲しくて、でも、この活動である程度何かしらの成果を出してからじゃないと、出産は厳しいと思ってもいました。あと、女性シンガー・ソングライターとかって若くないと…と、どこかで思っていて、30過ぎたあたりから活動に焦りを感じていました。『家、ついて』でガンガンアピールをしたのも、そういう気持ちがあったからだと思います。縁あって、こんなタイミングで出産したので、後はもうどちらも真剣にやるだけだなと」

 多い時で月8本ほどのライブをこなしてきたが、コロナ禍と育児もあって、昨年は計10本ほど。それでも、11月には歌手・さいたまんぞうの浅草ライブで提供曲「人生ナメたら苦かった」をデュエットして存在感を発揮した。

 昨年の番組出演時、ゲストの研ナオコに「歌う時に無心になりたいが、無心になれない悪循環」を打ち明け、研から「そういう時は『無心になろう』とかじゃなくて『楽しもう』と思えばいいのよ、だって、あなた歌好きなんでしょう」とアドバイスされた。天元は「あれこれ考えず楽しむぞ~という気持ちが沸いてきています。次元は違えど、『これが研さんがおっしゃっていた境地か…』などと思う時があります』とプロの言葉をかみしめた。

 新年のライブ初めは今月13日、東京・高円寺のライブハウス「U-ha」に決まった。天元は「今は『死ぬまでがんばろう』という気持ちです。長い目で活動していきます。『若いうちに』という強迫観念から自由になれました。もう少し積極的に作ったものを世に出す作業をしたいです。楽曲配信します!」と意欲的。ちなみに「寅」の年女である。

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