今回は沖田総司の謎を追う。V6の岡田准一が主演する映画「燃えよ剣」が大ヒット公開中である。「燃えよ剣」は、歴史小説の大家・司馬遼太郎の小説を映像化したもの。主人公は新撰組副長の土方歳三だが、登場人物で、土方に優とも劣らない人気を集めているのは一番隊組長の沖田総司だろう。幕末に生きた人間で、沖田の名前は坂本龍馬と並び超メジャーだ。
沖田は幕末に活躍した人物の中で、労咳(肺結核)を患った末に、明治維新を迎えることなく志半ばで倒れた。「燃えよ剣」だけでなく数多くの小説に登場し、映画やテレビドラマでも「薄幸の天才美剣士」のイメージが定着している。
新撰組隊士でも土方歳三や十番隊組長の原田左之助のように、遺体が見つからず、実際はその最期がどうなったか分からない人間もいる。それに比べ、沖田が亡くなったのは慶応4年5月30日(1868年7月19日)。「賢光院仁誉明道居士」の戒名で、東京・六本木の「専称寺」に眠っているが、普段は非公開である。
沖田は、陸奥白河藩の江戸下屋敷詰め足軽小頭・勝次郎の長男として、現在の港区西麻布にあった白河藩屋敷で生まれた。産湯を使ったとされる「桜田神社」は六本木ヒルズのすぐそばにあり、現在なら誰もがうらやむ都会っ子だろう。
人気者であるがゆえ、沖田像はほぼ丸裸になっている。だが、沖田にはまだまだ謎が残っている。それは、沖田の終焉(しゅうえん)の地が2カ所現存しているのだ。そのひとつが、浅草・今戸にある「今戸神社」だ。この神社は縁結びのパワースポットとして有名だが、今回訪ねてみると、鳥居前には「沖田総司終焉の地」と書かれた看板があり、境内には石碑も立っていた。
沖田がここで最期を迎えた根拠となっているのが、二番隊組長・永倉新八が後年書き残した「同志連名記」だ。そこには「浅草今戸の松本良順先生宿にて病死」との記述がある。幕府の御典医だった松本良順は神田にあった西洋医学所を閉鎖し、「今戸神社」近くにある「称福寺」に場所を移していた。そこに、結核が悪化した沖田が移され、最期のときを松本良順の住居だった「今戸神社」で迎えたということだろう。