9月24日、漫画家さいとう・たかを氏が亡くなった。あちこちのメディアで報じられたように、さいとう・たかを氏は「劇画」というジャンルを生み出した立役者である。子ども向けでキャラクターものが主流だった漫画の中から、リアルな絵柄とシリアスなストーリーを展開する大人向けのジャンルが登場し、それが「劇画」と呼ばれるようになった。「劇画」によって漫画の表現は飛躍的に広がり、日本独自の「マンガ文化」に大いに貢献したといえる。
一方でアニメーションの方を見てみよう。アニメーションが日本で誕生した時には「漫画映画」と呼ばれていた。当時は新聞漫画などで人気のキャラクターものが多く、それらは当然子ども向けに作られたものである。やがてアニメーションもしくはアニメという呼び方が定着したのだが、アニメに関しては子ども向けだろうが、大人向けだろうが「アニメ」という呼び方に統一されていった。
いや、実はアニメにも漫画に対する「劇画」同様に、「ゲキメーション」と呼ばれる派生ジャンルが存在していた。わずか一本の作品にのみに与えられた名称だったが…。
それが1976年にテレビ放送された「妖怪伝 猫目小僧」である。原作は楳図かずおの「猫目小僧」で、当時の妖怪ブームを背景にホラーテイストで描かれた恐怖漫画だ。この作品をアニメ化するにあたり、普通のセル画アニメとはまったく異なる手段が用いられた。厚紙に描かれたイラストの裏に棒をつけて操演するペープサート(紙人形劇)を基本として、そこへ模型や実写や特殊効果を加えてまったく独自の映像を生み出したのだ。劇画調に描かれた紙人形を動かすので「劇画」+「アニメーション」で「ゲキメーション」という造語が付けられた。
アニメブームと称して流行に乗っただけの似たような作品が粗製乱造された時代に、一矢報いたいという気持ちがあったのだろうか。ペープサートにマンガやアニメの要素を組み合せたゲキメーションは斬新ではあったが、あまりにも異質だった。
自由自在にキャラが動き回るセル画アニメの表現と比べると、ゲキメーションは動きや演出にかなりの制限がある。当時の子どもたちにはやや退屈だったのかもしれない。ゲキメーションがその後、定着しなかったことがそれを物語っている。手作業丸出しの紙人形の動きや、さまざまなインサートカットを駆使した演出はなかなか味わい深く面白いものであるだけに残念なことである。
しかし、ゲキメーションの火が消えたわけではなかった。2008年に発表された電気グルーヴ「モノノケダンス」のプロモーションビデオが全編ゲキメーションで作られたのである。実質的には「猫目小僧」のパロディではあるが、ゲキメーションは30年以上を経て復活した。
そしてゲキメーション作家である宇治茶が登場した。2013年に「燃える仏像人間」、2018年に「バイオレント・ボイジャー」というゲキメーションによる長編映画を制作したのである。さらにはテレビドラマ「妖怪シェアハウス」の昔話パートや「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」のオープニング、エンディングを担当するなどゲキメーション作家として活躍の場を広げている。CGが当たり前となっている現在だからこそ、アナログ感全開のゲキメーションが逆に新鮮に見えるのだろう。
宇治茶の活躍によって後続する作家が現れるのか?もしくはふたたび途絶えてしまうのか?ゲキメーションの今後に注目したい。