大河ドラマ「豊臣兄弟!」第35回は「秀長誕生」。天正12年(1584年)3月6日、織田信雄(信長の次男)は伊勢長島城において重臣の津川雄光・岡田重孝・浅井長時らを誅殺しました。3重臣は秀吉と親交を持ち、主君・信雄と秀吉との関係維持に尽力していました。その3重臣を殺害したことは秀吉との手切れを意味します。いや、手切れどころか軍事衝突に発展する可能性が濃厚でした。信雄はその積もりで3重臣を殺害したのです。
信雄は秀吉と対決するため、東海・甲信地方に勢力を持つ大大名・徳川家康や越中の佐々成政を味方につけます。家康は3月9日には三河国から尾張国に進み、13日には尾張の清須城にて信雄と対面しています。これも両者(信雄・家康)の間で事前に談合していたからこその動きと言えるでしょう。
徳川家は織田家とは縁戚(織田信長の娘は家康の嫡男・信康に嫁いでいた)でしたし、家康は織田家の当主として信雄を承認していました。また、秀吉が天下人然として振る舞い、関東の情勢にも関与してきたことは家康の気に食わぬことでした。そうしたことから、家康は信雄に加勢した訳ですが、秀吉も信雄・家康連合軍の動きに素早く対応しています。
紀伊国の雑賀一揆や根来寺の討伐計画を中止し、3月10日には摂津国大坂を出立しているのです。そして、伊勢方面には養子・羽柴次秀勝と弟の羽柴秀長の軍勢を遣わしています(伊勢国は信雄の領国のひとつでした)。この時、織田家諸将の多くは秀吉に加勢していました。
この事は「実質的な天下人」は信雄ではなく、秀吉であることを多くの諸将が認識していたことをうかがせます。すでに織田家の栄光は過去のものとなっていたのです。小牧・長久手の合戦がいよいよ始まらんとしていました。
(主要参考文献一覧)
・黒田基樹「羽柴秀長の生涯」(平凡社、2025年)
・柴裕之「秀吉と秀長「豊臣兄弟」の天下一統」(NHK出版、2025年)
・濱田浩一郎「秀吉と秀長 天下統一の軌跡」(内外出版社、2025年)