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大河ドラマ「豊臣兄弟!」荒木村重の妻・だしの最後を「信長公記」はなぜ立派だったと評したのか?識者語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
山谷花純
山谷花純

 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第24回は「軍師官兵衛!」。天正6年(1578年)10月、摂津国の荒木村重(有岡城主)は突如として織田信長に反旗を翻し、毛利方に与します。「豊臣兄弟!」において村重を演じるのはトータス松本さん。村重の妻・だしを山谷花純さんが演じています。

 信長に背いた村重でしたが、天正7年(1579年)9月、有岡城を抜け出し、尼崎へ移りました。織田方は「尼崎城と華熊城を差し出せば有岡城にいる各々の妻子は助命しよう」と荒木方に提案しますが、村重はそれを拒否します(同年11月に有岡城は開城)。

 だしをはじめとする荒木方の者は織田の人質となりました。その中には妊娠中の女性、幼な子を抱く女性、夫を恋焦がれて泣き叫ぶ女性もいたようです。「目も当てられぬ」そうした様子を聞いた信長はさすがに「不憫」に感じたようですが「佞人」(村重)を懲らしめなければということで、人質を「成敗」することを決めるのでした(「信長公記」)。

 荒木一族の者は都で処刑されることになり、護送されます。護送された人々は、妙顕寺に拵えられた大きな牢屋に収容されました。だしもその中にいたと思われます。そしてとうとう、信長による処刑命令が下ります(12月16日)。

 村重が尼崎城と華熊城を織田方に差し出し、降伏すれば荒木一族の妻子は助かったかもしれません。しかし、だしは夫・村重のことを恨むことなく、これも前世の因果だと感じ、多くの和歌を詠んだのでした(「信長公記」)。その1つが「きゆる身はおしむべきにも無き物を 母のおもひぞさはりとはなる」。「消えて行くこの身は惜しいものではないが、母としての子への思いが死出の旅への障りとなる」との意味です。

 同書によると、この時、だしは21歳、評判の「美人」だったと記されています。肘を掴まれて車に乗せられただしですが、その最後は立派だったと「信長公記」にあります。車から降りる時に帯を締め直し、髪を結い直して、慌てることなく、従容として斬られたのです。

 その様子は、下女や召使いの女性たちが人目を憚らず泣き叫んでいるのとは対照的だったとのこと。「信長公記」はそうした女性たちにも「哀れなり」との言葉を寄せています。

(主要参考文献一覧)
・池上裕子「織田信長」(吉川弘文館、2012年)
・桐野作人「織田信長」(KADOKAWA、2014年)
・濱田浩一郎「秀吉と秀長 天下統一の軌跡」(内外出版社、2025年)

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