大河ドラマ「豊臣兄弟!」第30回は「清須会議」。天正10年(1582年)6月2日、織田信長は京都本能寺において重臣・明智光秀に討たれます。しかし信長を討った光秀もまた山崎の合戦で羽柴秀吉方の軍勢に敗れ、滅亡していきました。
光秀を討った秀吉はその後、尾張国の清須城に向かいます。信長の孫で僅か3歳の三法師が岐阜から清須に避難していたからです。三法師の父・織田信忠(信長嫡男)も明智軍により討たれていました。
清須には織田家の有力な宿老・柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興らも参集し、そこで会議が行われます。有名な「清須会議」です。そこでは今後の織田家の在り方や領国の配分などが話し合われました。
織田家の当主は三法師がなることに決まったのですが、問題は三法師が幼少であったために「名代」(後見人、補佐役)に誰がなるかでした。信長次男の織田信雄が順当だったのかもしれませんが、信長3男の織田信孝は明智光秀追討で「総大将」を務めたということもあり、お互いが「名代」を巡り譲り合おうとはしませんでした。このままでは両者の熾烈な対立を招き、織田家は分裂してしまいます。
それを懸念した清須に参集した織田家の重臣は「名代」を置かないことを決めます。三法師を当主とし、政権運営は前述の織田家重臣の話し合いにより行われることとなったのでした。誰かに権限が集中することを避け、合議による「集団指導体制」が採られたのです。
しかし信長の子供たち(信雄と信孝)の権力を巡る対立が「集団指導体制」を瓦解に追い込むことになります。ちなみに秀吉は明智光秀を討つことに大きな貢献をしましたが、織田家を率いる「最高指導者」ではなく織田家の「一宿老」に過ぎませんでした。「天下人」への道はまだ遠いものがありました。
(主要参考文献一覧)
・黒田基樹「羽柴秀長の生涯」(平凡社、2025年)
・柴裕之「秀吉と秀長『豊臣兄弟』の天下統一」(NHK出版、2025年)
・濱田浩一郎「秀吉と秀長 天下統一の軌跡」(内外出版社、2025年)