接客業に従事するAさんは、毎日、理不尽な要求を繰り返す客への対応に精神をすり減らしていた。人格否定や長時間に及ぶ拘束、さらにはSNSへの顔写真投稿を盾にした脅しを受けても、店長からは「穏便に済ませて」と言われるばかり。
そんなAさんはある日、テレビのニュース番組で「カスハラ対策の義務化」という言葉を知る。するとAさんは「客対応で悩んでいたのは自分だけじゃないんだ」「社会問題になっているなら店長に再検討してもらえるかも」と、希望を抱くのだった。
では実際に「カスハラ対策の義務化」は、現場にどのような効果をもたらすのだろうか。社会保険労務士法人こころ社労士事務所の香川昌彦さんに聞いた。
ー企業に課される「カスハラ対策の義務」には、どのような内容が含まれますか?
主な柱は「マニュアルの整備」と「基本方針の周知」です。
どのような行為がカスハラに該当するのかを定義し、実際に発生した際の対応フローを明確にしたマニュアルを作成することが求められます。また、スーパーや飲食店などの店頭に「カスハラに対する基本方針」を掲示するなどして、お客様に対しても「当意は従業員を守ります」という姿勢を周知することも重要な対策の1つとなります。
ー義務化によって、現場で働く人の法的権利はどう守られるのでしょうか?
メリットとして「個人の判断ではなく、組織として対応できる」ようになります。
これまでは現場の担当者が1人で謝罪を強いられるケースもありましたが、義務化後は「会社の方針としてこれ以上の対応はできません」と、毅然とした態度で会社にバトンタッチできるようになります。これは、企業が負う「安全配慮義務」の一環であり、従業員が安心して働ける環境を整えることは、企業の法的な責務です。
ー悪質な客への「お断り」や「出入り禁止」は、法的にどこまで認められますか?
企業には「取引の自由」が認められています。公共施設のような特殊な場所を除き、民間企業には「誰にサービスを提供するか」を選ぶ権利があります。正当な理由(カスハラ行為など)があれば、「あなたにはサービスを提供しません」とお断りすることは法的に全く問題ありません。
むしろ、1人の悪質な客のために他の大勢のお客様や従業員が犠牲になる状況を放置することの方が問題視される時代になっています。
ーもし対策を怠った場合、企業はどのような法的リスクを負うことになりますか?
行政からの指導や罰則も考えられますが、より大きなリスクは「従業員からの民事訴訟」です。
会社がカスハラ対策を怠り、従業員が精神疾患を患ったり離職したりした場合、従業員から「安全配慮義務違反」として慰謝料などの損害賠償を請求される可能性があります。法令違反による罰金よりも、こうした裁判による賠償金や社会的信用の失墜の方が、企業にとっては致命的なダメージになりかねません。
義務化をきっかけに、まずは会社に「どのような対策をとる予定か」を確認してみてください。あなたが一人で我慢するのではなく、会社が守ってくれる仕組みを整える。それがこれからの時代のスタンダードです。
◆香川昌彦(かがわ・まさひこ) 社会保険労務士/こころ社労士事務所代表
大阪府茨木市から労使の共存共栄を目指す職場づくりを支援。人材育成・定着のための就業規則整備や評価制度構築、障害者雇用、同一労働同一賃金への対応といった実務支援は、常に現場の視点に立つ。ネットニュース監修や講演にて情報発信を行う一方で、SNSでは「#ラーメン社労士」としても活動し、親しみやすい人柄で信頼を得ている。